その頃の祖母は、呉服屋の経営を息子に譲り、1人で暮らしていました。
そこに私を呼んでくれたんです。
そこで言われた祖母の言葉を、きっと一生忘れません。
「わたしは、あんたのおばあちゃんや。あんたを生んだ母親の母親や。
ここにあんたの母親が来ることはないし、あんたと会うこともない。
その理由はいつかわかる けど、今は聞かんとき。
これまでしんどかったやろうけど、ここでは自由に甘えたらええ。
わたしは、あんたのことを孫やのうて子どもや思て育てるから、そのつもりでおり」
頭の中は疑問でいっぱいでした。
何より実の母のことを聞きたかったのに、そこはシャットアウトされて。
それでも、自分の居場所ができたことは、嬉しかったのを覚えています。
☆
祖母は祇園の町屋(お座敷)で三味線を弾いていたこともあり、私を舞妓に
したがりました。
正直、私にそんなつもりは全くなかったけれど、祖母孝行だと、言われるままに
舞妓修行に励みました。
スパルタな祖母のもと、お茶、お花、日本舞踊、所作、舞妓言葉、詩吟など、
ありとあらゆる芸事を叩き込まれました。
今でも役に立っているのは、所作くらいですかね~?
舞妓言葉は、今でも完璧に話せます(笑)
中学校に通いながら、舞妓学校にも通い(こういうパターンの人はあまりいませんし、
今では許されていないと思います)、15歳の年には舞妓デビューをしました。
つづく。