この記事は私自身の備忘録です。
辛い表現もありますので、スルーしていただいても構いません。
今日でもう15年。
関西に住むたくさんの人達がそれぞれに忘れられない1月17日であるように、
もちろん私にとっても忘れられない1月17日です。
17日の朝、5時頃に起きて出勤する準備をしていました。
私の飼っている猫がいつもとは違う声を出し、「どうしたん?」と声をかけようと
したら突然揺れました。
私が住んでいた地域は震度5で、食器棚の扉がバンバン開くのを必死で
押さえて食器が飛び出さないようにしていたのを覚えています。
でも直接の被害はありませんでした。
とりあえず落ち着いてから、車で急いで出勤しました。
その当時高層ホテルに勤めていて、被害が心配だったからです。
着いたらエレベーターは止まっていて、お客様の誘導の途中でした。
各宴会場やレストランの食器は散乱し、後片付けに終わった1日でした。
そんな中、テレビのニュースで観た神戸の焼け野原の映像は忘れられません。
偶然その次の日から5日間、お正月に出勤した分の振替のお休みだったので、
その当時手話ボランティアをしていた関係の知り合いに何かできることはないかと
聞くと、物資を運ぶ人の手が足りないということで、バイク隊として参加しました。
18日からの5日間、京都-神戸間を何往復したのか、全く覚えていません。
とにかく必死でした。
崩れ落ちた瓦礫の山、燃え上がる炎と煙の匂い、壊れた車、泣き叫ぶ人の声。
避難所で必死で頑張るお医者様や看護師さんの顔。
おにぎりをもらって喜ぶ子供たち。
「ありがとう」と言ってくれるおじいさん。
「あんたんとこは大丈夫だったの?」と、逆に心配してくれたおばさん。
今でも記憶から消えません。
5日間なんてアッという間で、帰ってからも「他にできることはないのか?」 と、
そればかり考える日々でした。
そして、悲しい訃報も聞きました。
友人が家屋の倒壊で亡くなったのです。
その友人は信州にスキーに出かけていて、1日帰ってくるのが遅かったら
亡くならずにすんだのに、そう思わずにはいられませんでした。
一緒にスキーに行っていた友人達の心のケアもしばらくは大変でした。
そんな悲しみを抱えた人が、数え切れないくらいいるんですよね……。
それを忘れないこと、それが私のできることなんだと思っています。
毎年この日には、何かしら自分の思いを文章に残しています。
あの日の現実と共に、自分の心の動きも残しておきたいから。
記憶は薄れて、悲しい思いも年数と共に癒されていきます。
毎年友人のご両親に電話するんですが、今では笑って話せる自分がいます。
「書く」ことは私にとって心のリハビリ。
辛いことを文字にするのはそれこそ辛い作業でもあるんですが、このリハビリは
これからも続けていこうと思っています。