Hi♡みなさま
昨日階段を降りていたら急に降ってきたことを備忘録✏
mikey今泊まりで仕事なんですけど、年越しまで
夜中とかも時間構わずやることあるので
ひとりでしずかーーな暗い建物の中を歩くこともある。
そんなときは言葉がけっこーはっきり聞こえるので
よく耳を傾けるのですが、
昨日「“決める”のは自分だよ。」って言われたんです。いつも唐突に言われる言葉には、
ん?なにが??ってなるんですが
昨日のこの言葉には
なぜかすぐにあぁ、なるほどなー。そっかー。と合点がいきました
数日前、インド占星術のセッション受けたんです。
事前に誕生日時、生まれた場所を伝えておいたら、
たくさんの表と共に先生が
◯歳頃にこんなことありましたかー?
とか、
父親に縁のない生まれだねーなんて言われて
時期的なものが当たってること多くて驚き
で、未来の展望も教えてくれるんだけど、
すごーい。というのと同時に、
占星術やってたらなんていうか、、がんばろー!みたいな気持ちがなくなりそうだな。って気持ちにもなって
もちろん、そういうことじゃないのはわかるのよ。
占星術でわかるのはきっと、
「それなり」というか、路線というか、
違う階の同じ位置というか、そんな感じで、
行動した時や意志のある時と
そうじゃない時が
同じ人生なわけないっていうのは
肌感覚でわかる。
でも最近の波動低めの衰弱した私にはそういう考えも見えてしまってさ‥
でも、「決めるのは自分」というのは
『星回りが定める“運命”みたいなものがあったとしても、どう生きるか。ー何に価値を見出すのか。意味をつけるのか。信じるのか。は、自分自身で決めていく。それが“道”になっていく。』
『決める時の自分の状態が魂と繋がっていようが、迷いの中だろうが、逃げ腰だろうが、そんなことは関係ない。決めたあとに、道ができる。そこにストーリーが生まれる。その先どうなるか、を気にする必要はない。何を経験するか。それは決めたこと次第だから。』
なるほどーーーって。
決まってるなら、抵抗もせず、努力もせず、ただただ流されていけばいいじゃないか
って考えもあったけど、
そうじゃないよな。って。
選び取るものがなんなのか、が
私という存在を形作っていく。
どの道を行っても得るもの、失うものがあったり、ストーリーはあるけど、
私というかたちや色は違うんじゃないか。
だって、
信じるものが違うってことだから。
それは望みや願いが違うってことでもあって、
それは誰ひとり、同じものを持たない形になるから。
『決める』ということ。
迷い、考え、悩んでも
自分と会話し、
じぶんを知り、
信じるものを左手に、
右手で何かを掴む。
それが決める。というプロセスだっていう映像がみえたの。
それこそが、「わたしは誰か」ということ。
インド占星術は深いことを気づかせてくれました。
セッションのあと、
インド占星術はおもしろいらしい!と教えてくれた母に結果を話しながら
パーフェクトなタイミングでこの世に生んでくれてありがと
と伝えられたのが、
このセッションからの1番の贈り物でした
読んでくれてありがとう
love u.
mikey🦄🌈