びっっっくりの記憶が出てきたので急いで備忘録✎



この前帰省した時に実家で見つけたCD。

吹奏楽コンクールの自分たちの演奏。
あの頃まさに「青春をかける」という言葉がぴったりなほど、部活漬けの3年間でした。
休みは3年間で3日だけ。
毎年元旦当日だけがお休みの日で、
あとは試験の日もお昼休みの基礎練習の時間は必ずあった(もしくはみんな家でコソ練してた)ので
本当に休みなしだったと記憶しています。

「うまくなりたい」その一心だったと思う。
吹奏楽コンクールって、
演奏前に「◯番◯◯学校、課題曲◯、自由曲、〜作曲、◯◯。指揮、◯◯。」みたいな読み上げがあるんです。
コンクールだからめちゃくちゃ形式張ってて、緊張わざと煽ってる?くらい冷たい声で、自分たちの学校名や顧問の先生の名前が読み上げられる。笑
CDもそこから入っていて、
それを聞いた瞬間に、
忘れていた記憶がどばーーーーっと出てきた。

なんか、わたし
「いい人でいなきゃ」と思っていた。
音楽性に人間性って出るというのをめちゃくちゃオーバーに捉えていて、
コンクールの演奏の「運」の部分は、
普段の自分の行い如何によると
本気で思っている部分があった。

まるで敬虔な教徒みたいに、
「天が自分をみている」と信じていて、それはとても窮屈だった。

なぜそんな風に考えていたのか、
今となってはきっかけはわからない。
でも、
そうやって自分を追い込んで、
つまらないやつになっていたなーと。

周りも巻き込んで、
めちゃくちゃやりづらいやつだっただろうなぁと、、笑


全国を目指して年中練習し、
ストイックに生活していたあの頃。

それでも、音楽は楽しかった。

でも、
「何を楽しんでいたのか」は曖昧。

楽器に触れるだけで楽しかった。
みんなで音を合わせることが楽しかった。
でも、音を出すのが怖かった記憶も同時にある。

自分の音の責任に震えた記憶も。

本番中、
「あぁ、終わってしまう‥」と考えた記憶もある。

あんなに狂信的にひとつのことをやったのは
とてもいい思い出で経験。


あのときに、
今のようにもっと視野を広く
聴いてくれる人、隣で演奏する仲間、
そんなキセキに目を向けれたら
もっとよかったなぁと思うけど。


今もその世界にいられていることに
深く感謝する。

音楽を通して自分の心に触れられること。
音楽を通して、他人とわかりあえること。
様々な土地へ赴けること。
笑顔を交わし合えること。

とてもありがたい経験。時間。環境。

自分のこの人生を、愛していると言えるのは、

あの頃、ストイックに技術と向き合った時間があるから。
あの頃、一緒に切磋琢磨した仲間との経験があるから。

すべてに、感謝。
音楽にであえてよかった。

そんな原点の記憶は、
なんだか泣けてきた。
あの頃の純粋な子どもたちの夢。
それに付き合ってサポートしてくれた師。
熱かったなぁー。尊い。