今日ずっと行きたかったフジコヘミングのコンサートへ行くことができました![]()
もう、出てくる前から
彼女の持つ雰囲気のようなものが漏れ出ていて
涙。
一音聴いて涙。
彼女の演奏をきいて浮かんだ言葉は「覚悟」
かつて、
彼女は覚悟したんだと思う。
そしてその後も、
ことあるごとに、覚悟を入れ直してきたんだと思う。
その先の景色なんてわからない。
未来の自分がそれで幸せだと思えているのか、
満足しているのか、
はたまた後悔しているかもしれない、
路頭に迷うかもしれない、
そんな不安や恐れを振り切って、あるいは押しのけて、時には抑えつけて、
それでもわたしはピアノを弾く。と
覚悟を決めてきたんじゃないか。
そんな気がしました。
保証されないものに
覚悟を決めて
手すりもない、道幅もない、先も見えない道を
行くと決める。
それをした人のみに見える景色を
彼女はみているんじゃないかな、って
おこがましくも、
そう感じる音がしました。
そして、さらには
彼女の生き様をさらす勇気のある女性であり演奏家であるんだなー。かっこいい…誰にでもできることじゃないなー。という想いがしました。
すっぱだかで歩いて、
それでいて堂々としていて、
その姿が、きらびやかな王冠をかぶることよりも、美しい布のドレスをまとうことやりも
様になる。“かっこいい”。
昔、大々的に彼女がメディアにさらされた時の情報のせいで、
苦労の多い、不屈の女性。
というイメージがついてしまって
努力の人、寂しさや辛さの上にたつ、ジャンヌ・ダルクのような人、と思いがちな私ですが
音には
ピアノ、音楽、観客、、、すべてのものへの愛、
なにより、自分自身への愛とか
音楽が人生にあることへの喜びとか
もう、そんなものを超越した
呼吸のような演奏とか
もはや言葉が追いつかない、
言葉なんかじゃ表現不可能なほどのものがありました。
音楽の神に愛された人だなーと思う演奏家も世の中にはいますが、
彼女はなんていうか…
厚かましくも、表現させてもらうなら
神になろうとしている人間。って感じがしました。
いや、私なんかからしたら最早神。なんですけど。
人間だからこそ、人に伝えられるもの
人間だからこそ、肉体があってこの世で音楽ができること、を踏まえると
なろうとしている。がいい気がして…
覚悟を決めて、
色んなものを削ぎ落として、
痛みも喜びも
失望も絶望も、何度も味わっても立ち上がって
覚悟を決め直して、
そんな風にとことん、
音楽と、ピアノと、自分自身と
向き合ってこられたんだろうな。と
そんな風に感じました。
負けたと思っても、もうだめだ‥と思っても、
立ち向かったその先に未来はある。
最近よく提示されるキーワードや
自分の今の境遇も相まって
『覚悟』がとても胸に刺さる演奏会になりました。
ステキな時間でした![]()
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