Hi♡みなさんおはようございます爆笑





昨日急にきた感覚✍✍



夫婦って、

お互いがそれぞれ成長するために

お互いがそれぞれ幸せになるために、


お互いに協力して過ごす共同体。


相手から学び、

二人(3次元以上の何か)居るからこその物事を経験して、成長に繋げる。

それは一人では感じられる領域とは違うもの。



幸せにしてもらおう

幸せにしてあげよう

は、違うんだわねーもぐもぐもぐもぐもぐもぐ



自分の成長は自分でしか促せないし、

自分の幸せは自分でしか齎すことはできないもの。




多感な時期に見聞きするマンガやドラマの影響で

違ったイメージ持っちゃってるから


そのマインドを払拭するのにものすごい労力と時間を要しているけどゲッソリ



真島俊夫さんの「Seagull」を聴きながら

ちょっとハイヤーとチャネリングしてみたら



      ピンク薔薇「動物たちはみな

愛らしくて、逞しくて、優しく強い…

色々なイメージを人は抱くけど、

一見似つかわしくないように思える

このような切ない哀愁漂う曲想も、

どの生き物たちも、似合うでしょ。

それはね、彼らが“独り”を知っているから。

喜びも、悲しみも

“分かち合いたい”と願う人とは違って、

独りで受け止めることを

自然だと理解しているから。」

だから、そこをあなたは哀愁や切なさとして感じるのでしょう。と言われました。


予想もしていなかった、急で一方的なハイヤーの言葉に、なんでこの話題?とか思う間もなく、

抗わずにその周波数へ委ねると、

そこから、

先程の夫婦の関係についての気づきがやってきたのです。




わたしたち人も、独り。


だからこそ、

助け合いや分かち合いが特別なのであって、

それありきに考えてしまうから、

不足感や欠乏感が生まれてくる。


夫婦になるほどの縁。という特別も、


わたしが思ってきた程の特別ではなくて、

隣で頑張る人。くらいの感じでいいんだな。と。


運命共同体とか、

二人で一人とか、

ソウルメイトとかツインレイとか、

もっと平たくいうと、

相性とか運命とかロマンスとか

そういう言葉が、

私を惑わせてきたんだと思う。




相手には相手の人生があって、

私には私の人生がある。



時間が合えば共に食事をしたり旅をしたり、


助け合いとして、生活を共にしたり、

独りより二人が楽しいから、学びが多いから、

向き合ったり、互いに精進する。




若い頃の私なら、

そんな冷めた話…とか、

夢がないガーンとか、

愛はどこ?!とか、

え。それってなんか意味ある? 

極論すぎない?


なんて感じたと思う。



でもね。



“そこ”に初めて「自立した愛」が存在できるんだ。という気づき。



今の人間関係特に夫婦は、

法律とか、

経済的なことも

性のことも

子ども、という概念も

家族、という概念も

生活スタイルが影響するスピリットの成長への関わりからくる個人の成長も

生きる。という魂と繋がること自体も


包括されちゃうから

がんじがらめになってややこしいけど。




スピリットが求めている

「二人以上」が同じ船に乗る。ことへの経験は、


そんなものとは無縁なんだ。

と、腑に落として感じることができた瞬間だった。



それを、昨夜舞台裏という特殊な空間にいたからこそ、掴めて

一晩言葉にするために削り出して、

まだまだ、深い意味にこれからも気づいていきそうだけど。

とりあえず、ここまでを備忘録✍✍✍






love u

mikey🌈🌈🌈