Vol.83 『酒呑みのあらしさん』 | 猫又小判日記

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石井綾乃が綴るブログエッセイ。精力的に短歌を詠む。第一歌集「風招ぎ」、次いで第二歌集「猛禽譚」を上梓した。また「文学さろん 美し言の葉」を主宰。筋金入りの猫好きである。最近はプール通いで健康維持を図る。そんなつれづれを、日々思うままに書いていきたい。

Vol.83 『酒呑みのあらしさん』

サラリーマンのあらしさんは、酒呑みでした。


若い頃からお酒が大好きで、

学生時代、ドイツ語の授業のまえにお酒を飲み、

ドイツ語の先生に、

「君、顔が赤いねえ?熱があるんじゃないか」

と、言われたこともあります。

たぶん酒くささでバレたとは思いますが。


また、やはり学生時代、警備員のアルバイトをしましたが、

夜勤あけなどで飲んだお金は、

総額300万くらいに達する、

と自分で言います。


そんなあらしさんも、就職してサラリーマンになって、

奥さんをもらいました。


ところが、奥さんは一滴も飲めないのです。

よく結婚したな、と思います。


初めての冬、奥さんのゆかりさんは、お鍋をつくりました。

ところが、酒呑みとはそうなのでしょうが、

いわゆるおつまみ食べ、

ちびちびとおなべをつついては、 

お酒を飲むのです。

一方ゆかりさんは、

ご飯ですから、ちゃっちゃと食べます。 

新婚当初はあらしさんに悪いので、

できるだけゆっくり食べましたが、

それでも30分が限界です。


あらしさんは一杯やっていますからご機嫌で、

よけい饒舌になり、

よけい時間が過ぎていきます。


これに懲りて、ゆかりさんはお鍋料理はつくらなくなりました。


でも、ゆかりさんは楽しかったのです。

お酒を飲んで饒舌になったあらしさんは、

いろいろな話をしてくれます。

自分の話だけでなく、

政治経済、文学、スポーツ、

多岐にわたります。

ゆかりさんはそんな時間が気に入っていました。

そして、自分もノンアルコールビールや、炭酸水など買って、 お気に入りのグラスに注いで、

あらしさんと乾杯するのです。


旅行に行っても、あらしさんの飲みっぷりは変わりません。

新幹線の窓際に、

駅の売店で買い込んだビールを置き、

出発すると、おもむろにプシッ!とタブを開けます。

一方、ゆかりさんはコーヒーです。

旅の電車でコーヒーを飲むのが、

ゆかりさんは大好きなのです。


そうそう、話は少し戻りますが、

あらしさんは、ビールはヨッポドビールしか飲みません。

体質が長年の酒呑みでそうなったのか、 

ヨッポドビール以外のビールは、

体が受け付けないのです。


ゆかりさんは、あらしさんと旅を重ねるごと、

停車駅の売店で、あらしさんのために、

ヨッポドビールを探すのが上手くなりました。


いつしか、喫茶店に行くときなども、

あらしさんはビール、

ゆかりさんはコーヒー、

それが二人のスタイルになりました。


そんなとき。

ゆかりさんは赤ちゃんを宿しました。

ただ、検診で、赤ちゃんにかるい異常があることが分かりました。


ショックを受けたゆかりさんに、あらしさんは言いました。

「ゆかり。絶対大丈夫!俺、酒断ちするから。きっと元気な俺たちの子供が産まれるから」

そう言うと、

冷蔵庫にあった5本ほどのビールのタブを開け、

中身をぜんぶ流しに捨ててしまいました。

 

ゆかりさんはびっくりしましたが、そんなあらしさんを誇らしく思いました。


十月十日、あらしさんは本当に一滴も飲みませんでした。

そして、陣痛がゆかりさんに来ました。

あらしさんは立ち会いこそしませんでしたが、

産院の待合室でずっと祈っていました。

「オギャア、オギャア」

赤ちゃんの元気な産声が聞こえ、

「旦那さん、どうぞ」と言われ、 

産室に入ったあらしさんは、

輝く笑顔のゆかりさんと、

可愛らしい女の赤ちゃんに会えました。


先生は、「赤ちゃんにどこも異常はありません。母子ともに健康です」

と、おっしゃいました。


「二人で名前、考えような」

そう言ったあらしさんに、

ゆかりさんは優しく言いました。

「あなた、もうお酒飲んでいいわよ。

私達の赤ちゃんに、祝杯をあげて」

あらしさんは「うん、うん」

と言いましたが、涙ぐんでしまいました。


一人さきに家路についたあらしさんは、

途中の酒屋さんで、ヨッポドビールのロング缶を、1本だけ買いました。


そして家に帰って座ると、ふう。と息を吐き、

産院の方角へビールを掲げ、

「俺たちのところに来てくれてありがとう!」

と、ヨッポドビールのタブを、

プシッ!と開けました。


生涯で最高のビールでした。