こんにちは

ニーチェアに座り外を眺めていると、

うつ病の初期の頃

姉の家で療養させて貰って

リビングから外をぼやーっと見ていた自分を

ふと思い出します。


何を見るでも無く

何かを考えるでも無く

ただただ外に顔を向けていただけ


あー。

空がきれいな色だなぁ。

葉っぱ、だんだん黄色く色付いて来たなぁ。

ここ、大阪なんだよねー。不思議な気分

そんな風に、あれこれ感じられるコト

本当に嬉しいです。


そんな穏やかな1日に感謝して。


夫の不倫をきっかけに

夫婦関係が壊れ始め

私の心も疲弊して行き、うつ病との診断を受けました。

退院して、夫の居る自宅に戻らず

近県に住んでいる姉の家で

療養をさせて貰っていました。


うつ病

家族の中で、うつ病になったのは

私が初めて。

まだうつ病だと自分の症状を受けいられていない私

うつ病の人と関わるのは初めての姉

何より、私と姉が

姉達の家で、長い時間暮らすコトすら初めて。

仕事も持っていた姉のサポートとして

母が遠くから駆け付けてくれた。


姉夫婦の家で

母、私、姉の家族が揃って過ごす。

ちょっとした小旅行なら楽しいだろう。

限られた時間と決まっていれば

多少のコトには、お互い目もつぶる。

何より、お互い嫌な想いをしたくないから

余計な口もはさまない。


けれど、

私にはそんな人のコトを考えたり

まして思いやるなんてコトは無理だった。

とにかく、辛い。

こう言う理由で、辛いとかと言うのでなく

とてつもなく辛いとしか言い様が無い。


母は、母で

変わり果てた娘にどう接していいのかすら

分からない程戸惑っていたのだと思う。

来る日も来る日も

天井を見続けている娘が

この先どうなるのか不安でも有り

自分の娘が、まさかこんな風になるなんてと

現実を受け入れられなかったかもしれない。

消化しきれないそんな想いを

私の夫を憎む事で均衡を保っていたのかもしれない。


姉は

き然としていた。

うつ病の本を読み知識を得

うつ病になった事より

これからどううつ病と関わって行くか

前向きにとらえていた様に思う。


仕事でへとへとになって帰宅して

束の間1人時間を過ごせていた時間も

常に誰かがいる。

しかも、明るい空気では無く

重くどんよりとした空気

快く迎えてくれたけれど

ストレスは、かなりのものだったと思う。


時には、

母に私に対しての苛立ちを

口にしている声を耳にした事も有る。


怒りはわかない。

あー。やっぱり私はダメなんだと思う。

私がやって来たコト、造って来たモノ

何もかもが間違いなんだ。

だから、壊れたんだ。

自業自得なんだ。

これは、罰なんだ。


姉と母の会話を聞いたと

口にすら出来なかった。

口にする元気も先ず無かった。

まして、面倒を見て貰っている私が

不平を言える様な立場では無い。

何より姉が言っているのだから

間違いで有る筈がない。


或る時

おばあちゃん(母)に会いに

独立している姪っ子達が

家に帰って来ると言う。

あー。相変わらず優しい子達だなぁと思い

「優しいね。」と姉に言ったら

吐き捨てる様に

「当たり前でしょ」と答えた。


胸が、きゅーっと締め付けられた。

年老いたおばあちゃんが

遠くからこちらに来てくれている。

だから、会いたい。

そんな気持ちは当然のコトで

そんな当然のコトを

貴女の息子は、

まして母親を自分達の代わりに

看病してくれているおばあちゃんに

会いに、お礼に来ないなんてどうなのかしら?


そんなコトをひっくるめての

当たり前でしょ

そんな風に聞こえた。


あー。優しいのでは無くて

それは、当たり前の事で

その当たり前の事をしない息子にしてしまったのは、他でも無い私だ。

だから

吐き捨てる様に言われても仕方ないんだ。


ここに、もう居たらいけない。

これ以上、姉達家族を巻き込んだらいけない。

私が居る限り

姉は、ストレスを感じるだろう。

お互いにもう限界なんだろうな。


私自身の調子の悪さも有り

有難い事に

入院も認められた。

私は、大学病院の精神科に入院した。


今でも

姉家族には、本当に感謝している。

大学病院、東北の病院と

医療の道筋を早急に作ってくれたおかげで

今の私が有ると思っている。

病人が居る中での日々の暮らしは

想像以上に大変だと思う。

休息する場所が

神経を使う場所になるストレスは

看病する人の心迄も、疲弊させただろう。


感謝を忘れるコトは無い。

忘れてはいけない事だとも思っている。


けれど

当たり前って何だろう。

そう思い始めた自分も居た。


それって、姉の物差しだよね。

姉の物差しって、何の間違いも無いの?

自分の物差しを持つコトは

或る意味必要だと思う。

皆、それぞれに自分の物差しを持っている。


他人を

自分の物差しで計っていいの?

自分の物差しで、当然なコトは

誰にとっても当然なの?


姉だけでは無い。

私だって、自分の物差しを振りかざし

その枠に

夫や息子を当てはめていた。

私の作品にしようとしていた。


危険なのは

自分の物差しを疑わないコトだと思う。

自分の物差しと同じ物を、

世の中の大半の人が持っていて

それは

常識だったり、当たり前だったり、普通で有ったり。


もしかすると、

自分の物差しって、ちょっと目盛り細か過ぎる?

もしかして、

自分の物差しって、ちょっと誤差出て来てる?

と、時折見直す必要も有るのではないのかな


何より

人が、自分と違うのって

それこそ当たり前じゃないのかな?

金子みすずも言ってるよ笑


当たり前と思ってるのは自分だけかもしれない。

相手は、そう思っていないかもしれない。

そのスタンスは、忘れずにに居たいなぁと

最近ようやく思えて来た。

相変わらず、遅っ。


考え方もそうだけれど

して貰うコトにも、当たり前なんて無い。

だから

最近はちゃんと


ありがとう


って伝えてます。


最後迄読んで頂き有難うございました。