おはようございます。

おけぴは、6時半に出張に向かいました。

送り出して、ニイチェアで音楽を聴きながら

うつらうつら。

贅沢な時間を過ごしました。

今日1日穏やかに過ごせます様に。


鬱病の私の根底の問題として

自己肯定感が低い

見捨てられ感が有る

過度に自責の念が有る

等など有りました。

主治医やカウンセラーの方と今でも

その辺りを色々と話しています。


ある時

主治医に

「みけぴさんは過度に自責の念が有る。

夫との関係(夫がW不倫)でも自分に非があると思うのはどうしてですか?」


「誰かを人間として惹かれたり、魅力的だと思う事は有ると思う。けれど、思うコトと行動を起こすコトは違う。私ならしない。何故なら、大切な人を傷付けたく無いから。

だけど、夫はそこにブレーキが効かなかった。

彼にとって大切なモノとして、私達が作ったものは、ブレーキにならなかった。

だとしたら、それは矢張り私のせいでも有る。」


主治医

「どんな理由で有れ、法律的に社会的に間違っているのはご主人で有り、そこにみけぴさんが悪いと言う事は一切無い。」


「私は、自分のせいにする事で、自分が楽になりたいのかもしれない。」


主治医

「そうですね。人のせいにすることは、また違った苦しみを背負うコトですもんね。」


「どう言う手助けをして貰いたいか言える、求められる事が大切であり、適切に助けを求められる事がむしろ強さなのかもしれない。

周りの力を上手く得ながら良くなって行く事が強さなのかもしれない。」


「強くなる事が目標では無い。強くならなくてもいい。」


こんな風にコトバのやり取りをさせて貰うコトで

少し俯瞰的に自分のコトを見れる様になりつつ有るのかなぁと思っている。

全くの第三者の人が 

事柄だけで、感情的に判断しないで口にする言葉は、不思議とするりと受け止められる。


事実と感情は別物だと言うコトすら

私は思えなかった。

感情こそが、事実だった。


彼は、私を鬱陶しそうに思っている。

だから、もう私達はやり直せない。


彼は、うめ子(夫の共犯者)と一緒に生きたいと思っている。

と言う事は、私とは離婚するつもりだ。


夫の感情は、実際の所分からない。

けれど、ふと漏らすことばや態度をかき集め

私なりに彼の感情を推し量る。

それが事実、現状となり

絶望的になる。そして、

その様な現状を作り上げたのは

他でも無い私自身なんだ。

だから、

これはバチが当たったんだ。

皆そんな状況でも、頑張っているのに

弱弱になるのは、私が余りにも弱過ぎるからだ。


そんな負のループ作業の手を休めるきっかけを

作ってくれたのは、

主治医やカウンセラーさんとの

言葉のキャッチボールだと思う。


もし、今1人で悶々としておられる方が居たら

もし、今1人でご自分を責め続けている方が居たら


ちょっと、朝の陽射し浴びてみませんか?

青々とした空見上げて見ませんか?

随分俯いてばかりで

上を見上げるコトすら忘れてはいませんか?


考えるのは、それからにしませんか?

急がなくて良いと思いませんか?

ちょっと荷が重ければ

一休みしましょ。


大丈夫だと思います。

急いだ所で結果はすぐには出ません。

結果が大切なのでは無く

これから私達が歩く道が大切なのだと思います。

ぼちぼち行きましょう。

寄り道も義し。

迷い道も義し。

立ち止まって見上げるのも義し。

その方が

今迄見てなかった、見えなかったモノ

見えるかもしれませんね。

だとしたら

この道も満更悪くなさそうですよ。


最後迄読んで頂き有難うございました。