なぜ自分は戦うのか。何を手に入れるのか。 | 凶暴なお魚と戦う極真カラテ みけねこ日記

凶暴なお魚と戦う極真カラテ みけねこ日記

世界を拳で繋ぐ格闘家ママ・山本ゆきの釣り・空手・育児日記。世界大会第3位、全日本優勝5回、全アジア大会軽量級優勝、オールアメリカン無差別級優勝。現在は治療院と愛知北FMにて木曜日スマイルチャージのナビゲーターをしております。

とうとう世界大会です。長い準備を重ねて来ても、やはり

もう来たのか

という感じです。

この日を特別な日と呼ぶか、連なる日常の一コマと捉えるか。
空手を始めて12年目。
子供を産んでも仕事もやめない、空手もやめない、そこに異常とも言える程こだわり続けて来た12年でもありました。
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子供から見たらどんな母親なのか。

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自分の父親よりも断然大きな外国人と殴り合う。
試合の度にどんどん身体が壊れて前十字靭帯、後十字靭帯断裂、半月板損傷。ひどい時は家の中で一歩も歩く事が出来ない時も。
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それでも稽古は休まない。
それでも空手は続ける。
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色んな人が自分のために、空手を続けるために手を差し伸べてくれる。
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10年ほど前。まだ乳飲み子の娘らを抱えて空手をしていた頃。休会すらせず、執拗に稽古を続けるみけマンマは内外から厳しい非難を浴び、空手をやめるべきか悩みました。

あの日の夜はまるで昨日の事のように覚えています。

極真会館時代、道場責任者のS先生を前に旦那、赤子のチーコを抱え、指導員室に座り、このままでは道場の皆んなに迷惑を掛けてしまうので一時空手を辞めようかと思います、と言ったみけマンマにS先生は両膝に手を着き、
「みけマンマちゃん、空手、やめたらいかんよ。空手を続けたいと思ってる人から空手を奪う権利なんて誰にもない。子供がいて空手が出来ないなら、道場の皆んなで育てればいい。子育ては母親だけに押し付けるものじゃない。みけマンマちゃんが空手を続ける事でいつか誰かの希望になる日が来るから。絶対来るから。だから、絶対辞めちゃダメだよ。」

まだ、ママさんタレントなんていない時代でした。あの三船美佳が妊婦姿でテレビに出た時、

あんな大きなお腹でテレビに出るなんて、何てみっともないの!

と眉をひそめる人も多かった時代です。

みけマンマはただ小さく

「ありがとうございます。」

と顔を覆って泣く事しか出来ませんでした。

その後、本当に道場のS先生自らチーコ達を抱っこしたり、少年部の子供らがミルクをあげたり、ご父兄の方々が遊んでくれたりして、まさにS先生の言う通り道場の皆んなが子育てを手助けしてくれました。

先日、当時中学生だった道場の男の子とたまたま連絡が取れ、チーコの写真を見せたら驚いてました。

「あの時、道場の隅で寝てた赤ちゃんがこんなに大きくなったんですね!」

気がつけば、中学生だった彼もすでに二児の父親に。

そして地を這いずり回るように進んで来た道のりにも、しっかりと足跡は刻まれていました。

思い出す試合数しか分かりませんが対戦回数45戦38勝7敗。

このうちの3敗はロシアのオルガ
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そしてカザフスタンのサニヤ・セキズバイウェア
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そしてアレクサンドラ・マリノワ
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なぜ戦うのか。

それは、なぜ山に登るのか、という問いに、なぜ深い海に潜るのか、なぜ宇宙に行きたいのか、という問いに似てると思います。

時間も動きも、個人のパーソナリティさえ制約された没個性の世界で自分は現実世界では到底出会う事の無い究極の自由を得る事が出来る。

そう、完全なる自由。

私が何者であるか、私が女である事も、高校がどこで、大学がどこで、誰と結婚し、どこで生まれ、どんな性格であるかも、全てが白紙。

そこにあるのは、ただこの日のためにどんな稽古をし、どう空手と向き合ったかという事実に裏付けられた技術を携えた1人の人格さえも白紙の1人の人間なのです。

多分、そこに立った瞬間、ジャッジメントはすでに関係無いのです。

自分がどうこの日と向き合って来たのか。答えはもう、出ているのです。

究極の自由はすでに自分の中で完結してるのです。

だから、試合はまさに国家試験の試験勉強と同じで、試験を受け、その結果を見に行くのと同じ。

この何ヶ月も行って来た稽古の一つ一つが、試合の場でキチンと出せるか出せないか。

この二年半、みけマンマは医療専門学校に通って来ました。そこで知ったのは、やはり試験も試合も全く同じであると。
しっかりと普段の講義を聞き、反復し、試験の傾向と対策を練る。一度受けた試験なら更に傾向も対策も立てやすく、全く未知の先生の試験ならば入念に変速的な問題に対処出来るようにする。
センスのある子は一度見ただけで覚えられる子もいる。空手でも同じで、センスのある子はすぐ出来る。
みけマンマのようにセンスの無い人間はひたすら反復し、身につくまで覚える。

 やみくもに勉強したり、当てずっぽうでやったりすれば当然試験は通らない。

試験前はいつも思います。もう、ここまでやったんだ、賽は投げられた。今の自分の現実を受け入れよう。

多分、試合もこんな感じです。

そして出会うべく究極の自由を少しでも長く、1人でも長く感じていたいと、戦い続けるのだと思います。
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それでは、また、人生を変える旅に再び行って参ります。

押忍。