大量虐殺は過去のものなのか。 | 凶暴なお魚と戦う極真カラテ みけねこ日記

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世界を拳で繋ぐ格闘家ママ・山本ゆきの釣り・空手・育児日記。世界大会第3位、全日本優勝5回、全アジア大会軽量級優勝、オールアメリカン無差別級優勝。現在は治療院と愛知北FMにて木曜日スマイルチャージのナビゲーターをしております。

今日の夕方、用事があって電気屋さんに行ったのですが、残念ながら欲しいものが売り切れていて、悔しかったので



マッサージ・チェアに乗ってってやるっ



と、マッサージ・チェアに乗っていたら


「みけマンマさん♪こんな所で何してんの~(笑)」


と声をかけられました。以前勤めていた介護施設の上司でした(汗)



いや~~~こんな所でなければ、もっと話が弾んだんですが…。


みけマンマ、今はOLしてますけど、以前は介護施設で介護職員として働いていました。

もう、介護の仕事は大変ですけど、本当に楽しかったです。


最初の介護施設は職員の老人虐待をみけマンマが告発したため、辞めましたけど、次の職場は本当にスタッフもいい人ばかりで、楽しかったです。


みけマンマの介護時代の素敵なお年寄りのお話はココから♪

http://plaza.rakuten.co.jp/mikenekomannma/diary/?PageId=1&ctgy=6

どんなにしんどくても、施設の扉を開けた瞬間は

「おっはよ~~~~ございま~~~~~~す!!」

ですね(笑)


でも、介護の仕事をしていると、本当にびっくりするようなお話をお年寄りの方々から聞くことがあります。


その一つが関東大震災。


毎年防災訓練をやっていたんですが、たまたま話の中で


「そういえば、〇〇さん、関東大震災の時は産まれてましたっけ?」

と聞いたら


「ああ~僕はね~8歳だったよ。」


「は、8歳ですか~(汗)」


「私はですね、13歳でした。」



…。



そうか~~明治生まれだと、そうなるのね。

その時、当時8歳だった〇〇さんが


「あの時はね、本当にひどい事をしたんだよ。」

「何がですか?」


東京江戸っ子の〇〇さんです。震災の被災者でもあります。


「朝鮮人が井戸に毒をいれるだなんだって言ってね。大勢の在日の人や、言葉がなまってた東北の人が殺されたりしたもんだ。ボクもね、見たよ。朝鮮人の人が日本人の大人によってたかって棒で叩かれたり殴る蹴るされてるのをね。子供ながらに恐ろしいと思ったよ。今でもね、急に思い出す時があるなあ。」


「話には聞いた事があったんですけど、本当にあったんですねえ。」


「あれから80年以上も経ってるのに、まるで昨日のように思い出されるよ。人間とは、恐ろしいものだなあ。」


一世紀近く生きてなお、そんな小さな時の事を思い出さなければならない。

悲しいことです。


この話を聞いた時に思い出したのが、


「ルワンダ紛争」です。


知ってる方はいらっしゃいますでしょうか?

90年代、アフリカのルワンダで起きた大量虐殺です。ツチ族とフツ族の対立で、この時の衝撃はみけマンマ、今でも忘れられません。

100日間で100万人近くの子供から大人、お年寄りが虐殺されました。

ラジオのプロパガンダで。


ある日、車のラジオから流れてきたDJの言葉。


「ツチ族はゴキブリだ!ツチ族を殺せ!隣にいるツチ族を殺せ!」


ツチ族とフツ族は長年対立しつつも、同じ国で一緒に暮らしていた同じアフリカの部族です。


そのラジオの煽動とともに、突然フツ族の人々はとりつかれたように、手に手にナタや斧を持って近隣近所のツチ族の人々を襲い出したのです。


同じクラスメートの女の子を、同じクラスメートの男の子やその父親ら大勢の人間が殴り殺し、突然、お隣の家のおじさんが包丁を持って襲い掛かって来る。


みけマンマはこのドキュメント映像を確かNHKで見ました。紛争があったのは知っていましたが、こんなことがきっかけとは思ってもみませんでした。


小さな子供も撲殺され、妊婦は腹を切り裂かれ、100日で100万人。


興奮したラジオの声にボルテージが上がって凶器を手に手に殺人をして回る人々。

この悲劇は映画にもなりました。また、曽野綾子さんも小説として出版しています。

http://www.shinchosha.co.jp/book/114641/

人間の心の奥底の闇が集約されると、こんなことが起こるんでしょう。

そして、関東大震災の時も、きっとこうなったんでしょう。


これも人間。それも人間。


でも、人間としての行為であるとは認めたくありません。


極真空手の道場訓の冒頭にこんな言葉があります。


一、吾々は心身を錬磨し確固不抜の心技を極めること
私達は空手を修行する事によって、心と体を鍛えてどんな事にも動じない精神と技を身につける事
一、吾々は武の真髄を極め機に発し感に敏なること
私達は武道としての空手を徹底的に追及していくことで、どんな状況にも臨機応変に対応する力と相手の心を理解する思いやりや優しさ、どんな事にも素直に感動できる心を身につけること


確固不抜。


それは、こういう煽動にも動じない心であって欲しいと、子供達に願わずにはいられません。




最終更新日 2008年02月15日 20時58分22秒