母までも……最期のお別れ | 相葉くんが ♡大~好き♡心の糧です*(^ー^)*~家族ゴトも綴ります~

2月7日…母の97歳の誕生日
水曜日で、仕事は休みだったのに、
自分の胃カメラの検査を入れてしまって…

帰るのを先延ばしにしていた…

 

その後でも、

早く 会いに行けばよかった!!






2月27日のこと…


早出で、仕事に行く途中、 

8時頃

鹿児島の、いとこのお姉ちゃんから電話が入る…


こんな早くに、何だろう…

実家の ネコのこと?

99歳の伯母さんに、何かあった?

と、思いながら…電話に出ると、


母の施設の方から電話があり、

母が救急車で病院に運ばれる…と、連絡があった…と。


施設の人が言うには…


朝5時頃は、いつもと変わらなかったけど

7時頃…呼んでも目を開けるだけで、意識がもうろうとしていて、様子がおかしいので、救急車を呼んだ… 

(いとこに)一緒に行けるか?…と。

その後、私の携帯に

救急隊の方から…

…心拍数が30くらいしかない…かなり厳しい…

…延命処置をのぞみますか…との連絡が入る…


その後…

搬送された病院の循環器Dr.からも、

心筋梗塞による心原性ショック…かなり厳しい状況…

搬送中に一度、心停止している事や…高齢の事…を考えると

心カテーテルで風船をふくらませる処置をしても、

かなり厳しい…処置中に亡くなる可能性もある…

などの説明がある…


お母さん!!

あんなに元気に、楽しそうに、歩行器で歩いてたのに…

なんで急に!!


もう、間に合わないかもしれない…と思いながら、


新幹線で急いで帰る…


昼頃、鹿児島中央駅に着いて、

駅からタクシーで、初めて行く…米○病院…

ヘリコプターも屋上に備えてる…大きな病院

母のいる個室に行くと、 

母のベッドの足元の椅子に、いとこのお姉ちゃんが

付いていてくれて…


母は…

酸素マスクと、右手に点滴をしているため

右手は抑制中……だけど、

起き上がろう…とか、

酸素マスクをはずそう…とか、

しきりに動いてる様子。


私を見て、わかったような表情…

声をかけると…ウンウンとうなずいてる様子…

何か発するけど、言葉にならないような…

そんな状態だった


看護婦さんや、ドクターからは

高濃度の酸素、心臓の薬を最大量使っているので、

これ以上は増やせない…

あとは、本人の生命力しだい…

いきなり、ガクンと落ちる可能性もある……など…

説明を受ける




薬を最大量使って、心拍が30〜40…だよ

酸素飽和度が98と充分あるため、
酸素吸入量を下げられると…
だんだん、
呼吸が増えて、苦しそうに、あえぐようになり…
また、吸入量をあげてくれて…

そんな状態…

夕方になって、
車で来たダンナ、次男、次女が病室に着き…
次女を見た母は、目を大きく見開いて
わかっているような様子…だった


母の様子が変わらない状態なので
ダンナ、次男、次女は、ダンナの実家へ帰り、
いとこのお姉ちゃんにも帰ってもらい、
私だけ、母に付き添うことにしたよ

夜を越すのか、数日越すのか、わからない状態…

意識や、心臓の機能が、
今の状態から上向きになるとは思えない…くらい
厳しい状態だから、
悲しいけど、最期をみとる覚悟で、側に付いていた




夜ご飯用のおにぎり🍙食べたり、
パン食べたりしながら
姉に母の様子を連絡したりしていたけど、

酸素吸入量を増やしてもらってからの母は、
目を閉じて眠ってる様子……

あえぐような呼吸から、
大きく、ゆっくりとした呼吸になっていたので、
息が楽になったから、眠ってる…のね…
体を動かそうと力むより、
安静にしていた方が体力が持つかも…
と思って見ていた

そのうちに、
いや、おかしい、
寝てるのではなくて、弱ってるのだわ…
最期が近づいてきたんだ…とわかった



姉にも、
実家に着いたばかりのダンナ達にも、
もうながく持たない事を連絡し

頭をなでたり、手をさすったり、しながら
今までありがとう
小さい体で、よくがんばってきたね…と。

朝、突然の連絡を受けてから、覚悟はしていたので
涙流しながらも、落ちついてる私…

母の表情は穏やかなまま、
だんだん、呼吸する間隔が長くなり…
心拍数が30をきり……どんどん下がり……

私と看護婦さん、後から来られたDr.が見守る中
静かに最期を迎えました










少しずつ書き足してきた記事です
これから先、私も、
記憶があいまいになる年齢に向かっていくので
日記のように書き連ねています



今日は、母の日
もう…直接プレゼントを渡す事は、
できなくなったけど…
感謝の気持ちで、母の写真を見て思い出しています