1995年1月17日

阪神淡路大震災



私は当時20歳でした



2日前に成人式で振袖を着たところ





早朝…なのか?どうかもわからない

まだ暗闇の中


ゴォーーーーという音を聞いた

何の音だろ?と考える暇もなく

揺れが始まった



私は9歳離れた妹と2人で寝ていた

とにかく揺れて揺れて揺れて

何もできなかった


ただ、妹を守ることぐらいしか思いつかず

妹の頭をなんとか守るぐらいしかできないまま

私は何にもできなかった



揺れが止まっても

家の中は真っ暗で

私と妹は

父のトラックの中に避難していた


夜が明けて

家の中に入ると

何もかもがぐちゃぐちゃになっていた



電気ガス水道

全て止まっていた


携帯がない時代

公衆電話に行列ができた


私も当時仕事をしていたので

同じようにその列に並んで

会社に電話した


ヘリコプターが毎日飛んでいた


夜は余震が怖くて

小学校の運動場に車で行き

車の中で寝た


お母さんは簡易のガスコンロでご飯を作っていた


お兄ちゃんは消防団として

救助に行っていた




突然、当たり前が当たり前ではなくなった




とはいえ、私の家は

まだマシな方だった


武庫川という川を渡ると

さらに酷かった


数日後に行った神戸は

さらに酷かった



同級生が亡くなった

当時は携帯がなかったから

後から知った

お葬式すら行けなかった



そんな私の阪神淡路大震災。







そのあと、少しずつ日常を取り戻すなか

テレビをつければ

震災のことばかり



テレビは見たくなかった

私たちはそれぞれ

仕事を終えて帰ってくると

兄弟そろって

毎日トランプをした


毎日大富豪をするのが日課になった笑


何がそんなに面白かったのか?

毎日ゲラゲラ笑いながらトランプをしてた



それが楽しみで家に帰った




これも私の阪神淡路大震災の思い出




今だに

ゴォーーーーという音には敏感で

電車の音が遠くから聞こえてくると

ドキッとしたりする



でも、それはまぁもうしょうがない

あービックリしたってなるけど



2年前?の大阪の地震の時も

仕事の開店準備の時だったんだけど

震えが止まらなくなってしまった



でも

これもしょうがない



体が覚えちゃってるんだから



それでも



みんなで大富豪して楽しかったことも

しっかり覚えている




生きていると

いろんなことがある



良いことも悪いことも

楽しいことも悲しいことも




そうやって生きていく



1月17日

この日は私にとって

人生の中で


『生きている』ということを

実感する日です。




どうせ生きるなら

私はどう生きたい?



あなたはどう生きたい?







あれから、26年

長女が成人式



私もよく生きてきたなぁ!





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