2021年 令和3年 1月2日 土曜日
怒涛の2020年も終わり 新しい年が明けました。
2020年は年明けから年末まで 公私(⁉)ともにいろいろなことがあり
本当に本当に怒涛の1年でございました。
昨日の元旦の朝 義父が「本当に去年は2人に(夫と私)には迷惑かけちゃって世話になっちゃって申し訳なかった。」と言ってくれました。
確かにね(オイッ!)世話したわ~! でも義父だけじゃないから。
実母のことも 息子のことも大変だったからね~!
先日 喪中はがきを出した知り合いから 『お母さまを亡くされて 静かな年の瀬をお過ごしのことと思います。』的な優しいお葉書をいただいたのですが・・・
ぜ~~~んぜん静かな年の瀬なんか一瞬たりとも過ごしてませんでしたから、 あぁ 世間一般の感情としては実母を亡くして気落ちして喪中だし 静かな年の瀬を過ごしてるんだと思われてるんでしょうね と ちょっと感覚的に世間一般とズレちゃってる自分を認識いたしました。
年末はね 今年も大忙しでした。
煮物して 天ぷら揚げて お雑煮の用意して いろいろいろいろ用意して いつも通り息子の介護して・・・・。
これは毎年のことですが 年末にいろいろ食べ物を用意して元旦の朝と夜は私たちが義父の部屋で私が用意したものを食べるのですが 後の2日と3日は その残りものを階下の冷蔵庫に入れておけば 義父が自分で温めて朝昼晩と食べてくれるので 私は1年の内のこの2日間だけは 大きな顔をして義父の食事の支度をさぼれる!というシステムになっているわけです。
だから 年末はいつもの息子の介護の合間に大変な思いをしても2日間の自由を勝ち取るために頑張って いろいろ作るのです。
この年末と元旦の朝はいつもの年と同じでした。
でもね、元旦の午後 いつもだったら母をホームまで迎えに行って そのまま夜 母と義父と夫と私 そして息子を車いすに乗せて義父の部屋に連れて来て みんなで食事をして その後 息子をベッドに戻して 母をホームまで送って行くという流れがなくなったのですよ。
こうやって書くと簡単だけれど この一連の流れは私にとって「拷問かよ!」ってくらい大変な作業の目白押しでした。
でも 今年は母がいない。
母をホームまで迎えに行って 元旦の午後は母の相手して 夜は家中を走り回って食事の用意をしなくてもいい。
母が来ないので 義父も「自分で何か温めて食うから。」と言い出し、何と!結婚して初めて元旦にどこにも出かけず 家の中を走り回ることもない午後を過ごすことになりました!
これが私の 初めてのお正月! なのでした。
今年も すぐに更新が滞っちゃうブログですが ぼちぼち頑張りますので よろしかったら たまにでいいのでお付き合いください。
どうぞよろしくお願い致します。