一般病棟の個室に移った時点の息子は呼吸器によって強制的に肺に空気を送られて呼吸している状態だけれど、徐々に自発呼吸も増えてきていた。
頭は左右に動かせ、頬に当てられた作業療法士お手製のナースコールを何とか押せる状態。
ただし、そのナースコールは少しでも角度がずれていたり、顔から離れた位置にセットされてしまうと押せなくなってしまう。
首から上以外は一切動かなかったけれど、今までの痺れによる痛みに加えて、また、違った体の痛みを訴えるようになっていた。
何も感覚が無かった体に痛みを感じるようになったということは『良い兆候』ではあったけれど、本人にとっては同じ体勢で寝ているというのが非常に苦痛になってきたということ。
私も病院から帰って夜、布団に入り、息子と同じように上を向いたまま体を一切動かさずにいてみよう!と思い立ってやってみたけど、ものの10分もしないうちに辛くなって動いてしまった。
毎晩、やったけれど、毎回、10分ぐらいで挫折。
じっと動かないで寝ているというのがこんなに辛いものだとは思わなかった。
この病院では、(というか病院は大体そうなのかな?)動けない患者さんは介護士が順番で寝返りを打たせる『体位交換』(略して『体交』)をして床ずれ予防をしてくれ、それは2時間に一回と決まっていたが、息子は体の痛みが酷く、決められた体交の時間を待てずにナースコールを押し、体交をしてもらっていた。
ただ、息子は非常に体が大きく、体重も重かったため、女性の介護士さん一人では息子の体を動かすのは無理で、まず、ナースコールで看護師さんを呼び、その看護師さんが手の空いている介護士さんを呼び、その介護士さんがもう一人手の空いている介護士さんを呼んで、やっと息子の体交をしてもらえる。
でも、介護士さんたちは皆さん、忙しいので手の空いている介護士さんが2人揃うまでに時間がかかって、この待ち時間に息子の体の痛みは限界になり機嫌は悪くなり、来てくれた介護士さんのやり方が少しでも乱暴だと感じると怒るようになってしまった。
私は病棟の慌ただしさを知っているので看護師さんや介護士さんが忙しいのもわかるし、寝返りを打てない息子の辛さも経験済みでわかるので、何とかしてやりたいと私が体交の手伝いをすることにした。
これで、介護士さんが1人だけでも来てくれれば体位交換をすることが出来き待ち時間短縮になる。
それでも、私が病院にいる時間は何とかなるけれど、面会時間以外は個室に息子は一人っきり、ナースコールも届かないところにセットされてしまう日もあって、ただただ、痛みを我慢して体交の時間になるのを待っていたり、日当たりの良い部屋が仇となって、誰もブラインドを下ろしてくれずに私が行くまで息子の顔に直射日光が当たっていたりした。
「お母さん、助けて! 助けて! 」
息子は初めて、声にならない声で私に助けを求めた。
ICUにいた時はもちろん、個室に移ってきた時も自分の体は時間が経てば動くものと信じていた息子。
ICUで意識が戻り、目を開けられるようになり、首が動くようになってICUから出られた。
息子は病気が良くなったからICUから出られたのだ、これなら体はこの後すぐに動くようになるはず、次に動くようになるのは手か?足か?と思っていたのに何日経っても動く気配のないことに言い様のない不安や恐怖を感じ始めたようだった。
「助けて! 助けて!」
顔をゆがめ、泣きながら訴える息子の涙を拭ってやる以外に私はどうしてやることも出来ない。
人が寝た状態で涙を流す・・・手が動く場合、涙が流れれば拭うわけだけど、息子の場合、手も足も肩もどこもかしこも動かないから流した涙は放っておけば耳の中に入ってしまう。
この拭えない涙というのは曲者で、私と夫は息子の発病当初、ネットでギランバレー症候群のことを調べようと関連記事を探していた。
その時、ギランバレーになって息子と同じように体が動かなくなった方が闘病記で、「毎日、泣いていたら涙が耳に入って中耳炎になってしまった。」と書いてらしたのを読んで、これは注意しなくては!と思っていた。
でも、発病からこの時まで、息子はそんなに涙を流すことはなかったので、あまり気にしなくなっていたが、ここに来て泣くようになった息子に、私たちはその『拭えない涙』のことを思い出し、辛い記憶を呼び起こしご自分の闘病記を書いてくださった方の思いを無にしないためにもと息子にあることを約束させた。
一人の時は絶対に泣いてはいけない。
「こんな状態じゃ泣きたくなるのもわかる。だから泣いてもいいけど、泣くのはお父さんかお母さんが側に居て、涙を拭ける時じゃなきゃダメよ。 誰も居ない時に泣いたら涙が耳に入って中耳炎になっちゃううんだって。 だから、一人の時は泣きたくても我慢しなさい!」
息子はちゃんと約束を守った。
一人で病室の窓から晴れ渡った空を眺めながら、どんなに泣きたかったろう・・・私だったら、一人の時の方がいろいろなことを考えてメソメソ泣いてしまってただろう。
でも、息子は一人の時は泣かなかった。
だから、私の姿を見ると抑えていた涙が一気に噴出すようで、当時、私は荷物を置くとすぐに息子の涙を拭くのが仕事になっていた。
本当は個室だから、そんなに面会時間を気にしなくてもよかったのだけれど、実は、この時、3ヶ月まえから圧迫骨折で入院していた実家の母を退院後は実家には戻さず、介護付きの有料老人ホームに入居させることが決まっていた。
このことは、また、後日、詳しく書きます!・・・多分
そんなわけで。息子が発症してから、私は息子の病院に通う傍ら、まだ入院中だった母の病院に行ったり、本人不在の引越しの準備に実家に行ったり、引越し作業に立ち会ったり・・・とにかく、ここに書ききれないほどの『やらなきゃいけないこと』を抱えて、1日3ヶ所くらいを行ったり来たりしていたので、どうしても1日中、息子の側にいてやるということが出来なかった