ギランバレー症候群 20 | 「これでもか!」に「負けるもんか!!」

「これでもか!」に「負けるもんか!!」

これでもか!これでもか!と私の身の回りに起こる出来事。大変なことや辛いことばっかりだけど、おかげで色々な経験をしました。せっかくなので記録に残しておきます。

集中治療室に1ヶ月半もの長逗留をした息子は少しずつ自発呼吸も見られるようになり、集中治療室での治療は終わり、一般病棟に移ることになった。



集中治療室から一般病棟へというのは本当だったら喜ばしいことだろうけれど、息子の場合、差し迫った命の危険が無くなったというだけであって、自発呼吸が見られると言っても、まだ、人工呼吸器が無ければまったく酸素の供給が出来ない状態だったし、動かせるようになったのも首から上だけ。



つまり、血液製剤ガンマグロブリンの大量投与も血漿交換も息子には劇的な変化は与えられずにこれらの治療が終了したということだった。





息子が一般病棟に移れることになった時、人工呼吸器がついていて音がうるさく他の方の迷惑になるので個室か、もしくは差額0円の例の大部屋のどちらかしかないと言われた。





(今の状態の息子をあの大部屋に入れるわけにはいかない!)




(それに、一般病棟はICUのように至れり尽くせりの看護をしてもらえないだろうから、私が付き添う時間も長くなる。 今の私の精神状態もあの大部屋では耐えられない!!)





私は即座に個室をお願いした。





でも、医療費ではない個室の部屋代は限度額認定は適用されないため、その後の月末の支払請求は目の玉が飛び出るような金額に・・・あせるあせるあせる










1月末、息子はたくさんのスタッフに見送られてICUから一般病棟に移った。




「ねこ山クン、退院したら車椅子で遊びに来てね!」とICUの看護師さんに声をかけられ、




「歩いて来ますよ!あし」と応えた息子。




ヒジから先と膝から下は諦めてくださいと言われた医師の言葉は息子には伝えていなかった。




当然、歩けるようにはならないと知っている看護師さんは「車椅子で」と言い、当然、自分は歩けるようになると思っている息子は「歩いて」と応える・・・。




見送ってくださった看護師さんやスタッフの皆さんに挨拶をしていた私は息子のストレッチャーの脇で凍りついた、