そういえば、まだ、意識が戻らない息子の髪を看護師さんがベッドの上で洗ってくれたことを思い出した。
毎日、高い熱を出して汗びっしょりになっていた息子の髪の毛はベタベタになっていて、タオルで拭いたぐらいではキレイにならず、可哀想だなぁ、と思っていたら、看護師さんがベッドの上に小さいビニールプールのような洗髪台を持ってきてくれてシャンプーしてくれた。
その後、意識が戻った後、点滴やらモニターやらいろいろなものに繋がれ、呼吸器まで繋がっているにもかかわらず、お風呂にまで入れてもらえた。
30数年前、私の友人が長期入院した時はお風呂はおろかシャンプーもしてもらえず、病状が思わしくなかったとはいえ若い女の子には辛いことだったよね。
昔は病気になったら安静第一!だったけれど、今は体の清潔を保つことも治療の一環と捉えられているらしい。
何しろ、ICUで呼吸器やモニターに繋がれてる息子でさえお風呂に入れてもらえるわけだし、末期がんだった私の父も病院じゃなくホスピスだったけど、亡くなる前日にも入れてもらうことが出来たし、友人も今だったら、シャンプーもしてもらえただろうし、お風呂にも入れたかもしれないのにね・・・。
それにしても、呼吸器やら点滴やらモニターやらいろんな物に繋がれていた息子の入浴はそれはそれは大変なことだった。
酸素ボンベをストレッチャーに積み込み、若い医師がアンビューバッグで酸素を送り込み、看護師さん数人と主治医まで付き添っての大名行列でお風呂に出発。
お風呂から帰って来るまでにかなり時間がかかったので、お風呂場では相当、慎重な大変な作業だったんでしょうね。
本当に有り難いことです。
ところが、お風呂から帰って来た息子に感想を聞いてみると。
い た か っ た
痛かった? 気持ちよかったんじゃなくて、痛かったのか・・・。
こんなに皆さんが一生懸命、お風呂に入れてくれたのに、感想が「いたかった」っていうのは何だかなぁ~と、私は思ったのだけれど、この「痛い」というのは、『あいうえお表』では上手く伝えることの出来なかった重要なキーワードだった。