ギランバレー症候群 15 | 「これでもか!」に「負けるもんか!!」

「これでもか!」に「負けるもんか!!」

これでもか!これでもか!と私の身の回りに起こる出来事。大変なことや辛いことばっかりだけど、おかげで色々な経験をしました。せっかくなので記録に残しておきます。

首を振ることが出来るようになった息子は私からの連絡を受けて飛んで来た夫と義父(おじいちゃん)に どうだ! どうだ! とばかりに首を振り続けた。





「よかったよ! そうか! 動くようになったか! よかった!」





息子がピクリとも動かなかった10日間、私が家に帰るたびに「相変わらず・・・。」の報告を聞いてガックリと肩を落としていた義父の喜びようはハンパなかった。





しかし、その後、私の帰りを待って「今日はどこが動くようになった?」と私が答えるまで聞き続ける義父に私はプレッシャーを与えられ、悩まされることに泣き2





首が振れるようになった息子は数日後、目も開いた。





まだまだ、瞳孔は開きっぱなしだったし、白目も浮腫んでブヨブヨだったけど、見えることは見えるらしく、「見える?」と聞くと首を横に振った。





目玉はすぐに動くようになり、息子との意思疎通は白い紙に書いた『あいうえお表』を使うことになったのだけれど、これが思ったよりも難しい・・・。





息子の目の動きで「あいうえお表」のどこを見ているのか判断し、一文字一文字確認しながら会話するわけで、特に私は数文字進むと最初の文字を忘れ、息子に聞き直す、という息子をイライラさせる名人になった をいをい…





そこで一文字ずつメモ帳に書きながら、数文字進み、「枕を直すの?」とか「肩が痛いの?」とか息子が言わんとしていることを先回りして言うのだけれど、それが当たっている時はいいけど、間違っていることも多々あり、また、息子がどの文字を目で追っているのか判別するために息子の目と『あいうえお表』を覗き込み、表を覗き込んでいる間に息子の目が追っている文字を見失い、息子を怒らせ・・・。





私も夫も何とか息子の言いたいことをわかってやろうと神経をすり減らして息子との会話をしていたので、本当に大変だった。





しかし、ず~っと後、息子が話せるようになって『あいうえお表』がいらなくなってから、透明なアクリル板で作った『あいうえお表』の存在を知り、アクリル板の方がアクリル板を通して相手の目線を見ることが出来るので白い紙で作った表より、患者も介護者もどちらもず~~~っと楽だ、ということを知った。





誰か、もっと早く教えてくれればよかったのにぃぃぃ~~~~!!





そんなこんなで何とか息子との意思疎通が出来るようにはなったのだけれど、たった一言を聞き取るのに本当に時間がかかり、息子は次第にイラつくようになった。





そんなある日、私がいつものように面会に行くと息子のベッドがいつもとは逆向きになっていて、息子が窓の外を見えるようになっていて、どうやら、首もあまり動かず、いつも天井ばかりしか見えない息子に青空と時折、通る飛行機を見せてあげようという看護師さんたちの心遣いだったらしい。





でも、息子は何本も点滴を入れているし、呼吸器やモニターも付けているので、ベッドの向きを変えるというのは、それはそれは時間もかかれば気も張る作業なのに、その後も何度か息子はベッドの向きを変えてもらい、青空や初日の出を見せてもらった。





広いICUの中でも、そんなことをしてもらっているのは息子だけなので、破格の扱いをしてもらっていたようで、感謝!感謝!なのだけれど・・・。