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あの騒然とした夏が過ぎ去り、いま多くの人は
「やっぱり何も起きなかった」と胸をなで下ろしていることでしょう。
しかし、私はそこで一つ問いを投げかけたいのです。
本当に“何も”起きなかったのでしょうか。
むしろ、何も起きなかったこと自体が、最も不自然で恐ろしい現象だったのではないでしょうか。
私が見つめていたのは、たつき諒さんの予言、
そして8月15日午後2時47分という時刻に込められた不可解な符号でした。
人々は結果をもって「外れた」と結論づけましたが、
そこで終わらせるのはあまりにも早計です。
なぜなら、この夏に私たちが巻き込まれていたのは、
出来事そのものではなく、“出来事がなかったこと”を
装うための情報操作だった可能性があるからです。
SNSにおける一斉の情報拡散、異様なまでに統制のとれた報道の流れ──それらは
自然発生的な現象ではなく、誰かが緻密に描いたシナリオに
沿って展開されていたように思えてなりません。
表面上の平穏の裏側で、私たちの意識は巧妙に操作されていたのです。
古代から現代にいたるまで、時代を超えて繰り返されてきた「予兆」の一致。
量子物理学的な観点からも説明可能とされる現実改変の痕跡。
そうした断片をつなぎ合わせると、
この夏の静けさはむしろ“最大規模の社会実験”の一幕であったとしか思えないのです。
何も起きなかったと安心するのか。
それとも、起きなかったことに潜む異常性を直視するのか。
答えは、あなたの心の中にあるのです。
☆たつき諒予言の確率論的検証と意図的な情報操作戦略☆
まず最初に、私はずっと心に引っかかっていたことがありました。
この夏の騒動の発端となった、たつき諒さんの「予言」です。
多くの人が「東日本大震災を的中させた予言者」として彼女を崇め、
神秘の存在とまで語っています。
しかし私は、徹底的に検証を重ねた末に、断固として「NO」と言わざるを得ません。
その正体は超能力者などではなく、私たち自身の思い込みが作り出した幻想にすぎなかったのです。
実際に『完全版』を読み込んだ私は、
驚くべき事実にたどり着きました。たつき諒さん自身が明確に語っているのです。
あの「津波の夢」と「2011年3月」という日付は、別々に見たものであり、
直接的な関連はまったく存在しなかった、と。
「この夢が東日本大震災の津波の予兆だったかどうかは私には分かりません。
それはあくまでも皆さんが後で解釈してくださったことです」──この言葉を
前にすれば、予言が的中したなどという神話は一瞬で崩れ去ります。
つまり我々が「当たった」と信じ込んできたものは、
後付けの解釈に過ぎなかったのです。
ここで立ち止まるべきでしょう。
なぜ人は、こうした「後付け」を奇跡として受け入れてしまうのか。
心理学的に見ても答えは明らかです。
人間は不安の中で意味を求め、偶然を必然に変換してしまう生き物だからです。
しかし今回のケースには、さらに別の側面が潜んでいると私は感じています。
その根拠を裏付ける一例として、心理学者・菊池聡氏が
紹介している驚くべき計算があります。
ノーベル物理学賞を受賞したルイス・アルバレスが行った確率論的検証です。
知人100人、それぞれが50年間に一度「大きな夢」を見ると仮定します。
すると50年間で一人100回、100人で1万回の夢が生まれる。
その中で現実の出来事と偶然一致するものがあっても何ら不思議ではないのです。
実際、日本全体に当てはめれば、年間約4380人が「予知夢的中」を体験する計算になるといいます。つまり、たつき諒さんの体験は統計的に十分説明できる現象であり、超常現象などでは決してないのです。
では、なぜこの統計的事実は世に広まらず、
むしろ「予言」として神格化されていったのでしょうか。
ここからが本当の核心です。
私は情報の拡散過程を丹念に追いました。
そして浮かび上がったのは、あまりにも不自然なパターンでした。
通常の話題は一部の人間から徐々に広がっていくものです。
しかし「7月5日の予言」が拡散したときの動きは違いました。
YouTubeやTwitterで、まるで合図を合わせたかのように
複数のインフルエンサーが同時に取り上げ始め、
その発言内容も不思議なほど似通っていたのです。
まるで共通の台本を手にしていたかのように。
これほど統制された広がり方は、自然発生的な情報流通とは明らかに異なります。
私は画面の前で息を呑みました。
これは偶然なのか。それとも意図的に仕組まれたものなのか。
答えは一つに絞られていきました。
見えない力が背後で情報を操作していたのです。
考えてみてください。
我々は情報の海の中で生きています。
日々、無数のニュースや噂が飛び交う。
その中から、何を信じ、何を恐れるかを選ぶのは本来私たち自身のはずです。
ところが、今回の「予言騒動」では、明らかに私たちの視線が
特定の方向へと導かれていました。
人々の注意を一点に集中させる。
恐怖と不安を煽る。
そこに現代社会の新たな脅威が潜んでいるのです。
私は思わず背筋を正しました。
これは単なる都市伝説やオカルトの話ではありません。
現代の情報社会に潜む、もっと現実的で冷徹な力の存在を示しているのです。
誰かが巧妙にシナリオを描き、
その脚本どおりに人々が動かされていたとしたら…。
それは超能力者よりも恐ろしい「現実」ではないでしょうか。
本当に予言はあったのか。
的中したのか。
答えは「NO」です。
しかし、もっと重要なのは「なぜ私たちはそう思い込まされたのか」という問いです。
その背後には、数値や統計を超えた、人間心理の弱さと、
見えない情報操作の網が広がっていました。
たつき諒さんは、ただ一人の漫画家です。
夢を見ただけの人間です。
にもかかわらず、その夢は国家規模の恐怖を
呼び起こす「予言」にまで膨れ上がった。
そこには私たち自身の思い込みと、
仕組まれた情報拡散が複雑に絡み合っていたのです。
私はあえて断言します。超能力者など存在しません。
しかし、情報を操り、人々の心を揺さぶる「見えない力」は、
確かに存在するのです。
そして今回の一連の騒動は、それをまざまざと示した事例だったのです。
だからこそ、私たちは問わねばなりません。
次に同じような「予言」が現れたとき、再び踊らされるのか。
それとも冷静に立ち止まり、自ら考えるのか。答えは、私たち自身の中にあるのです。
