コロナ感染から1週間が経過したあせるわずかな鼻水と、のどイガイガを残し、体調はすこぶる好調だ。2日前から在宅勤務で仕事に復帰したが、まだ「陽性」っていうことで、朝晩の近所の散歩以外は、自宅にこもっている。

 

いくら自宅が大好きといっても、お天気がいい土曜日に、近所のカフェにもビーチにも行けないのはかなり残念チーン けれども、あと少しの辛抱・・。こうして、大事に至らず回復できることに心から感謝しなくてはならない。

 

写真は、家の前できれいに咲いてるCorymbia ficifoliaの花。Corymbia ficifoliaはオーストラリア固有種であるユーカリの一種で、シドニーでは街路樹として使用されている。

 

オーストラリアでわたしの好きな花の1つ。

 

 

チューリップ黄チューリップ赤チューリップ黄チューリップ赤チューリップ黄チューリップ赤

 

さて今日はブログを始めたきっかけについて書いてみる。

 

わたしはオーストラリア(ブリスベン)に来た2007年から恐らく2年間ほど、Mixi(懐かしい!)でブログを書いていた。

 

その時は、新生活についての備忘録的な意味と友人への近況報告が主な目的だった。その日記は、今のようなゆるいペースで確か2年くらい続いたと思う。

 

私のブリスベンの新生活は、社会人から学生に戻って、大学院のコースに入るところから始まるのだけれども、こちらの大学院は非常にハード。毎日勉強に明け暮れた。

 

特に2年目に入ると、大学院を続けながら、週4日9-5時でリサーチアシスタントとして働くような生活を送ってた。日本でばっちり日本語モノリンガルの環境で育ったわたしは、英語での読み書きにやたらと時間をかけていた(今でも時間はかかる滝汗)。

 

ブリスベンでは、ヨガを通じで、日本人のグループの方々との素晴らしい出会いもあったけれど、私の新生活は最初からかなり英語が占めていた。

 

その後、様々な国籍の友達、同僚、ハウスメイトたちとの出会いや交流があって、つい最近まで、英語中心の生活を送ってきた。

 

そんなこともあって、日本を向いて生活をすることも自然となくなっていた。

 

ヘタな英語での読み書きが中心で、日本語で何かを書く機会はほぼなく、SNSも、mixiから、多国籍な人々と交流できるフェイスブックへと移行していき、日記の更新も途絶えてしまったのだと記憶している滝汗

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その流れが変わったのは2020年だったと思う。その間に、ブリスベンで8年間暮らして、タイ(バンコク)やドイツでも働いたりし、日本に数か月単位で帰ることもあったけど、海外生活では日本語の比重は低かった。

 

2018年12月に仕事の都合でシドニーに移って2020年3月にコロナ渦に。

 

シドニーではロックダウンになり家時間が増えた。日本のニュースや番組を見るためにYouTubeを見るようになる。このころから、時代の流れとして日本でも面白いYouTubeチャンネルがいくつも登場したり、日本のラジオがインターネットで気軽に聞けたり、再び日本語の媒体にふれるようになった。

 

長年海外で暮らすと、英語や現地語が完璧にならないくせに、日本語までどんどん劣化していくという悲しい状態が起こる。

 

私ももれなくこのケースにあてはまるってことを実感滝汗滝汗滝汗

 

もともと日本で社会人を10年間してた頃、クライアント向けの報告書や出版物を作ったりして国語能力が高かったはず。今では、ブログ1つ書くのにいろいろ調べても、誤字脱字をあちこちに発見し本当にお恥ずかしい限り滝汗滝汗滝汗 

 

また長年海外で暮らしていると、自分の中の日本人のアイデンティティを実感するようになり、日本語や日本とのつながりを求めるようになるのかも。

 

そんなわけで、自分の備忘録、日本語でのアウトプットの機会というあくまでも個人的な理由でブログを始めてみた。

 

それだけではなくて、少々の情報発信(ハイキング情報、オーストラリア情報、海外生活情報、環境問題について、海外で働きたい人への情報など)を兼ねることで、そういった情報に興味のある、日本在住の方にも、海外在住の方にも読んでいただけたらな~、という気持ちで書いている。

 

そんなわけで、まだまだ誤字脱字ばかりで読みづらい文章ですが、末永く暖かい目で見守っていただけたら幸いですニヤニヤ よろしくお願いいたします。