展覧会いろいろ | 始めのはじめは一(ハジメ)なり

始めのはじめは一(ハジメ)なり

先祖・家系調査の具体的な方法をご紹介します。
大好きな新選組隊士・斎藤一を調べていたら
自分の先祖に関係があった!
そして知った先祖とは、なんと明智光秀だった!
そこから広がる史実と閨閥の世界。

※人気ブログランキングに参加しています。
よろしければバナーをクリックお願いいたします。

 


人気ブログランキングへ

 

 

関西で楽しみな展示がいくつも始まります。

今年は大政奉還150周年で、京都では新選組関連の行事も

行われます。

 

 

 

こちらでお知らせした「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」が

夏にはいよいよ大阪にやって来ます。

 

その前に、来週には京都文化博物館で戦国関連の展覧会が

スタートします。

「戦国時代展 -A Century of Dreams-」

 

戦国時代100年を網羅しての展示だそうで、出品物も

多岐にわたっています。

期間中展示替えがあるそうですので、これは何回か行かなくては!

 

国宝「上杉本 洛中洛外図屏風」も出展されています。

はじめて本物を拝めるかと思うと今からドキドキです。

 

 

四月には京都国立博物館120周年記念

特別展覧会「海北友松」が始まります。

 

海北友松(かいほうゆうしょう)は、狩野永徳や長谷川等伯と

並び称されるほどの巨匠です。

建仁寺を訪ねるとその凄さの一端を覗うことができます。

 

ですがわたしとしては友松に関してもっとも興味のあるのは、

その交友関係です。

 

友松は元浅井家家臣で浅井家が亡んだ後は禅門に入りました。

その頃に狩野派の絵を学んだといわれています。

 

友松は明智光秀の家老斉藤利三の親友でした。

おそらく光秀とも親交があったことでしょう。

山崎の合戦で明智軍が負け、捕らえられた利三は処刑され

粟田口で首が晒されました。

そこへ槍を片手の友松が真如堂の住職・東陽坊長盛を連れて

乗り込んで、利三の首を奪っていきました。

利三の首と並んで光秀の首も晒されていましたが、

友松は光秀の首には手を付けず、利三の首だけを

奪い去っています。

友松は当然、生前の光秀と面識があったので、光秀の首が

本物であったなら一緒に持ち去っていたはずです。

友松が光秀の首に手を付けなかったのは、

それが偽物だったからです。

 

利三の首は京都・真如堂の墓に葬られ、後にはその隣に

天寿を全うした友松と真如堂長盛の墓も作られました。

墓地の傍には、利三の娘である春日局が植えたと

伝わる桜が存在します。

 

今度の展覧会で友松の絵を鑑賞するのはもちろん大きな

楽しみですが、幅広い交流を物語る書状や文書類が

展示されるというのが、何よりの楽しみです。

 

 

 

 

ペタしてね

 

どくしゃになってね…

アメンバーぼしゅう中