信長からの手紙  ※2月25日訂正あり | 始めのはじめは一(ハジメ)なり

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先祖・家系調査の具体的な方法をご紹介します。
大好きな新選組隊士・斎藤一を調べていたら
自分の先祖に関係があった!
そして知った先祖とは、なんと明智光秀だった!
そこから広がる史実と閨閥の世界。

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2月12日、「歴史新発見 信長59通の手紙を

解読せよ」というテレビ番組が放映されました。
現在、東京の永青文庫 で開催中の「重要文化財

指定記念 信長からの手紙~細川コレクションの

信長文書59通、一挙公開!」に合わせた

プログラムでした。
バラエティ番組なので、あまり期待せず…というより、

どうなることかと心配しながら見ましたが、意外に

ちゃんとした内容でした。



細川家に伝わる歴史資料や美術品などの文化財を

保管、研究、一般公開しているのが東京・目白の

細川屋敷跡に建つ永青文庫です。
財団法人永青文庫の管理する膨大な古文書類の

うち、熊本市の細川家北岡邸の蔵に保管されていた

数万点の古文書類が熊本大学に寄託され、
大学内に永青文庫研究センター が設けられました。
そのセンター長を務める稲葉継陽氏が番組に

出演されていて、大変よいお話をされていました。



展覧会にて公開中の信長の書状59通には、

明智光秀の名が何度も登場しています。
特に信長が亡くなる最晩年の書状には、頻繁に

光秀の名が見られます。
「物語などでは、光秀は信長にいじめられていた

などとされるが、実際の信長の書状を見てみると、

いかに光秀を信頼し重要な仕事を任せていたかが

わかる」といった内容のお話でした。
私見を混じえず、資料を冷静に分析した末の

見解で、心から納得できるものでした。




番組には、永青文庫学芸員・三宅秀和氏も

出演されていました。
数年前、「細川家の至宝 珠玉の永青文庫

コレクション」という展覧会が、全国数箇所を巡回した

ことがあります。
わたしは上野と京都の国立博物館で鑑賞し、

京都では展覧会に合わせて開かれた記念講演にも

参加してきました。
その時の講師のお一人が三宅秀和氏です。
(三宅というお名前ですが、熊本藩重臣の三宅家と

特に関係はないそうです。)
近世細川家の歴史と、永青文庫の成り立ちなどに

ついて、非常にわかりやすくお話されていました。




さて、今回の永青文庫展覧会に出展されている

信長書状のうちの何点かは、細川展にも出展

されていました。


「織田信長自筆感状」は、信長が細川忠興に

宛てたものです。
初陣で大活躍した忠興を信長が絶賛しています。
これは右筆が書いたものではなく、唯一残る信長

直筆の、非常に貴重な書状だそうです。


「織田信長黒印状」は、信長から細川藤孝に

宛てたものです。
藤孝が宮津に城を築く際、信長に相談する手紙を

出したところ、かえってきたものです。
信長は、「宮津築城については明智光秀に朱印状を

出したので、二人で相談するように」と

返信してきました。
同じ宮津城に関する内容の返書を、光秀には

朱印状、藤孝には黒印状と使い分けています。


朱印状と黒印状の違いですが、朱印状は正式な

文書に押すもので、黒印状は私的な文書に押す

傾向があったそうです。
この書状が出された当時、織田家の中で藤孝よりも

光秀の方が立場が上であったこと。宮津城は

坂本城の建築方式の影響が見られると考えられる

ことなどから、この黒印状は藤孝が光秀の配下で

働いていたことを裏付ける証拠の一つと言えるかも

しれません。




永青文庫、信長の手紙展は3月15日までです。
機会のある方はぜひご覧になってみてください。
わたしは残念ながら行けそうにありませんが、

知り合いの方に図録を買ってきていただきました。


※訂正

 出展はされていませんが、熊本三宅家所蔵の

 明智光秀書状が図録に載っていました。


 とても見ごたえがあるので、図録もぜひ手に

 入れられることをお勧めします。




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