心霊都市・安土 | 始めのはじめは一(ハジメ)なり

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先祖・家系調査の具体的な方法をご紹介します。
大好きな新選組隊士・斎藤一を調べていたら
自分の先祖に関係があった!
そして知った先祖とは、なんと明智光秀だった!
そこから広がる史実と閨閥の世界。

安土。この美しい響きの名を持つ安土城。


信長の居城安土城は、天正四年に着工、五年の

歳月をかけて完成しました。


『信長公記』によると、安土城の天主は地上六階、

地下一階の七重構造。
五階とそれに付随する四階屋根部分は、

法隆寺夢殿を模したと思われる八角構造と

なっていました。
五階内部には釈迦と十大弟子が描かれ、

六階内部には中国の三皇五帝など伝説上の

君主が描かれていました。
六階の外壁は金箔で覆われた豪華さ。


近年の研究で天主内部は吹き抜け構造に

なっていたことがわかり、他に類を見ない豪華で

奇抜な城であったことがわかってきました。
本丸からは御殿跡が発掘され、天皇を迎えるための
本丸御殿だったのではないかと推測されています。





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伴天連宣教師ルイス・フロイスがヨーロッパの

宮殿に匹敵すると讃えた安土城ですが、安土山

自体が峻険であり、近世城郭を築くには不向き

だったと見られているうえ、完成当時の信長の

行動を考えてみても、軍事拠点として築かれたと

いうよりは、何かのシンボルとしての役割を

担っていたのではないかという見方ができます。




安土という場所は尾張や伊勢、美濃方面との交通の

便がよく、琵琶湖を船で渡れば京へも短時間で

行き来でき、北陸との連絡にも最適という、日本の

中枢として機能させるにはうってつけの場所でした。



実際信長が商業を保護し街をよく整備したお陰で

安土は商業都市としても発展し、賑わいを

見せていました。
しかし本能寺の変で信長が斃れた直後、安土城は

謎の出火にみまわれ灰燼に帰してしまいました。





岳宏一郎氏は『天正十年 夏ノ記』の中で、信長が
安土に城を築いたのは、安土には雪が降るからだと
書かれています。




「大津、草津、守山は晴れ渡っている時にも、安土

一帯だけにはなぜか雪が降る。
この異常気象を信長は“安土には心霊が宿って

いるのだ”と考えた。

信長の青年時代の逸話で、腰の周りにいくつもの

瓢箪をぶら下げていたというものがあるが、これは

魔除けの呪具として瓢箪を使ったものである。
瓢箪のように口がすぼまり、胴のふくらんだ

容器には、心霊が宿ると広く考えられていた。
信長は瓢箪を用いて自分の身体の周りに結界を

張り巡らし、身を護るだけではなく、そこに宿る

霊力を積極的に取り込もうとした。」





岳氏はこんな風に、信長がオカルト的な知識を

持っておりそれを活用していたように

分析されています。
信長だけではなく戦国武将の多くが神仏に

戦勝祈願したことにみられるように、オカルト的な

知識や技術を必須のように身に付けていました。






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安土城、大手道




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天主からの眺望




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天主址





信長が心魂込めて築き上げ、地理的にも重要な

位置を占めていた安土。
しかしなぜか信長亡き後、秀吉も家康も安土の地を

利用することはなく、安土の町は捨て置かれ、

衰退していきました。


秀吉が安土を捨てた理由として、謎めいた

伝説があります。





安土城が消失した後の時代、安土山中には

埋蔵金が埋まっているとの噂が立ちました。
これを聞きつけ、数人の浪人たちが埋蔵金の発掘を

しようとしたことがあったそうです。
彼らは小屋を建て発掘に当たろうとしたところ、

ある夜数十騎の武者が襲い掛かってきました。
浪人たちは応戦しましたが敵わず、なぜか同士討ち

となり、死者が出ました。
生き残った一人が逃げ出し、ふもとの家に助けを

求めましたがほどなく死んでしまいました。
息を引き取る前にその浪人が語ったところでは

「武者の中に寝巻き姿の立派な武士がいて、大身の

槍で攻撃してきた」そうです。
これは本能寺の変の際の信長そのものの姿を

思わせます。
その後も埋蔵金目当てで安土山中へ入った者は、
みなことごとく奇妙な死に方をしたそうです。



この怪異譚を聞いた秀吉は安土城址へ入ることを

禁じ、信長屋敷後に廟を建て、信長の霊を

供養しました。

また、秀吉は甥の秀次を安土城近くの八幡山に

入れ、その城下に安土の住民を移動させましたが、
その秀次も非業の死を遂げました。




こうして安土城下は寂れて朽ちていくにまかせられ、
秀吉亡き後、家康も手を付けようとは

しませんでした。

信長が「心霊が宿っている」と考えた安土。
今そこには信長自身の霊も宿っているのでしょうか。




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信長廟


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