島原で  その3 | 始めのはじめは一(ハジメ)なり

始めのはじめは一(ハジメ)なり

先祖・家系調査の具体的な方法をご紹介します。
大好きな新選組隊士・斎藤一を調べていたら
自分の先祖に関係があった!
そして知った先祖とは、なんと明智光秀だった!
そこから広がる史実と閨閥の世界。

島原図書館内の松平文庫ではわたしの曽祖父の

実家中村家についての情報を得ました。
館長さんや司書の方たち、みなさんとても

仕事熱心で親切な方ばかりで、あれが見たいこれが

見たいというわたしのお願いに、軽快に動き回って

取り出して見せてくださいました。

お陰で『耶蘇征伐記』『吉浦郷右衛門覚書』の二つの
資料を見つけることができました。
この二つには三宅藤兵衛が坂本城から落ち延びて

細川家に引き取られ、ガラシャ夫人に育てられる

ことになった経緯が記されています。




図書館の他に島原城内の資料館でも重要な資料を

手に入れることができました。
資料館の研究員で、島原天草地方の研究者として

有名な松尾卓次という方がいらっしゃいます。
その松尾先生とお会いしてお話を伺いました。
松尾先生も三宅病院のことをご存知で、
医家としての三宅家のことが載っているという
『島原半島医史』という資料の複写を後日
送ってくださいました。

そこには島原三宅家の系図が載せられ、どういう

系統の医術を学びどこで医師として働いていたのか

等について書かれてありました。



こうして島原三宅家の歴史が少しずつ

わかってきました。




島原旅行の前、三宅藤兵衛について調べていると
細川家にいたことがわかったので、わたしは細川家

について調べはじめていました。

『綿考輯録』(めんこうしゅうろく)という細川家の

歴史を記した資料があり、そこには細川藩家老

三宅家の系図が載っていました。
その系図とわが家の系図とを合わせてみると、
齟齬があったり埋まらない部分があったりします。
その食い違う部分について調べるのが重要だと

考えました。





島原の教育委員会のH田氏には、島原旅行の

前からいろいろと問い合わせてお世話に

なっていたので、H田氏を訪ねることにしました。
するとありがたいことに、車で案内していただける

ことになりました。
島原は交通の便がとても悪く、車がないと動くことが

できません。
運転免許のないわたしは本数の少ない電車とバスで
行ける範囲だけ行って、あとはお金はかかる

けれどもタクシーに乗ろうかと考えていたので、

H田氏の案内はとても助かりました。



H田氏の車で菩提寺に行き、過去帳の原本を見せて

いただき位牌堂にも入れていただいて、数百年に

わたり祀られている先祖の位牌にお参りできました。





車で回っている途中、わたしが手紙で先祖のことに

ついて訊ねた遠縁の方に出会い、それからその方

とは別のもう一人の遠縁のお宅にもお邪魔しました。
そのお宅は、わたしの祖父が亡くなり祖母が
関西に来ることになった時、屋敷と墓地の管理を

おまかせすることになった遠縁の家と

いうことでした。

そのお宅の奥様とわたしの父とは幼馴染だという

ことでわたしのことをとても歓迎してくださいました。



出会った二人の遠縁はともに代替わりしている

ため、三宅家の歴史や昔のことについて詳しく

知ることはできませんでしたが、奥様はH田氏に

むかいわたしのことを「このお嬢さんを連れてきて

くださりありがとうございました。」と仰いました。
お嬢さんという歳ではないのは置いておき、

胸がふるえました。
いきなり現れた初対面のわたしのことを、そんな風に
受け入れてくださって感激しました。



わざわざ車を出して案内してくださったH田氏や

資料を探してくださった方たち。
島原にすむひとびとはみな親切で暖かい

ひとびとでした。





この日は念願の墓参りをしようと思っていたの

ですが、梅雨時でしかも台風のような大荒れの

天候で、時間が経つにつれ雨がどんどん激しく

なってきて、H田氏も墓地の場所まではご存知

でなく道に迷い、結局お墓参りと実家探訪は

あきらめました。



実家とお墓には行けませんでしたが、原城址へは
行けました。
実家のある南有馬村は原城からほんの2キロ離れた

だけのすぐ近くで、原城攻撃に参加した

三宅藤兵衛の息子たちが陣を張った

場所らしいのです。

島原に移住してきたわたしの先祖は、自分の先祖が
陣を張って戦った同じ場所に家を建てて暮らし

始めました。
これはいったいどういう気持ちからなのでしょうか。
原城は一揆軍が殲滅された場所で、一揆軍の

遺体はそのままそこに埋められたままに

なっています。
今も発掘調査などで掘ると遺骨がたくさん出土

するそうです。
自分の先祖が戦って倒した一揆軍の遺体が多く眠る
そのすぐ近くに300年以上も住み続けたというのは、
恐いような不思議な感覚を覚えます。



原城址と周囲の村は雨のせいもあり人影もなく
淋しくなるほどの静かな村でした。


お墓参りはできませんでしたが、島原旅行は実りの

多い良い旅となりました。
出会った人がみな親切で優しく、愛情深かった

祖母と同じ人柄を感じました。
いつかまた訪れる日がきますように。






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