愛宕神社。
火伏、防火の神として信仰を集め、全国に
約900社を数え、創祀は大宝年間(700年代)という
由緒ある社です。
総本社は京都・愛宕山に鎮座ましましています。
本地仏の勝軍地蔵へは、多くの戦国武将が
戦勝祈願に訪れています。
織田信長研究の最重要文献『信長公記』によれば、
天正10年5月、謀反を興す直前に明智光秀が
愛宕神社に参籠しています。
そこで光秀は籤を引き、佳い卦が出るまで
三度引きなおしたと伝わっています。
この愛宕神社に関しても不思議な繋がりを
感じています。
わたしは神戸生まれで地元は六甲なのですが、
生まれてすぐの頃の一時期、父の仕事の関係で
兵庫区に住んでいたらしいのです。
小さい頃のことなので記憶はないのですが。
その時住んでいた町のあたりを地図で見てみると、
町内に愛宕神社があります。
こちらの愛宕神社は京都の本社から勧請されてきた
もので、創建時期は不明ながら、17世紀の
地図にはすでに描かれていたそうです。
わたしの氏神といっていいかもしれない神社です。
そして、わたしが以前通勤途中に毎日通過していた
駅近くの崇禅寺には、細川ガラシャのお墓が
ありますが、その崇禅寺近くにも愛宕神社が
存在します。
ヤフー地図で見ると佛圓寺と表示されている場所が
愛宕神社です。
もともとこちらには淡路天満宮というお社が
あったそうですが、明治43年に近くの
中島惣社に合祀され消滅。
天満宮跡地には、近くの永春寺境内に祀られていた
愛宕神社が移されて現在に至っているそうです。
愛宕神社は全国に多数存在するので偶然なのかも
しれませんが、なぜ光秀、ガラシャ、そしてわたしの
周りにそろって愛宕神社の影が見えるのでしょうか。
そして、もう一つ。
わたしの父の本籍地は、島原の南有馬
(現・南島原市)という村です。
その南有馬のすぐお隣には、その名も愛宕山が
そびえているのです。