土地の不思議 その2 | 始めのはじめは一(ハジメ)なり

始めのはじめは一(ハジメ)なり

先祖・家系調査の具体的な方法をご紹介します。
大好きな新選組隊士・斎藤一を調べていたら
自分の先祖に関係があった!
そして知った先祖とは、なんと明智光秀だった!
そこから広がる史実と閨閥の世界。

愛宕神社。


火伏、防火の神として信仰を集め、全国に

約900社を数え、創祀は大宝年間(700年代)という

由緒ある社です。


総本社は京都・愛宕山に鎮座ましましています。
本地仏の勝軍地蔵へは、多くの戦国武将が

戦勝祈願に訪れています。




織田信長研究の最重要文献『信長公記』によれば、
天正10年5月、謀反を興す直前に明智光秀が

愛宕神社に参籠しています。
そこで光秀は籤を引き、佳い卦が出るまで

三度引きなおしたと伝わっています。




この愛宕神社に関しても不思議な繋がりを

感じています。




わたしは神戸生まれで地元は六甲なのですが、
生まれてすぐの頃の一時期、父の仕事の関係で
兵庫区に住んでいたらしいのです。
小さい頃のことなので記憶はないのですが。
その時住んでいた町のあたりを地図で見てみると、
町内に愛宕神社があります。


http://yahoo.jp/phP4Lt




こちらの愛宕神社は京都の本社から勧請されてきた

もので、創建時期は不明ながら、17世紀の

地図にはすでに描かれていたそうです。
わたしの氏神といっていいかもしれない神社です。




そして、わたしが以前通勤途中に毎日通過していた

駅近くの崇禅寺には、細川ガラシャのお墓が

ありますが、その崇禅寺近くにも愛宕神社が

存在します。



http://yahoo.jp/6-hipU




ヤフー地図で見ると佛圓寺と表示されている場所が
愛宕神社です。



もともとこちらには淡路天満宮というお社が

あったそうですが、明治43年に近くの

中島惣社に合祀され消滅。
天満宮跡地には、近くの永春寺境内に祀られていた
愛宕神社が移されて現在に至っているそうです。





愛宕神社は全国に多数存在するので偶然なのかも
しれませんが、なぜ光秀、ガラシャ、そしてわたしの
周りにそろって愛宕神社の影が見えるのでしょうか。





そして、もう一つ。



わたしの父の本籍地は、島原の南有馬

(現・南島原市)という村です。
その南有馬のすぐお隣には、その名も愛宕山が

そびえているのです。


http://yahoo.jp/iRKgOV





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