島原の乱と鈴木兄弟 | 始めのはじめは一(ハジメ)なり

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先祖・家系調査の具体的な方法をご紹介します。
大好きな新選組隊士・斎藤一を調べていたら
自分の先祖に関係があった!
そして知った先祖とは、なんと明智光秀だった!
そこから広がる史実と閨閥の世界。

うちの家系を調べるために、戸籍を調査するのと

同時に島原の乱について勉強しました。



島原の乱。
学校で歴史の時間に大まかなことは

習いましたよね。




関ヶ原の戦いから約50年後の徳川家光の時代。
九州島原と天草地方で、キリシタンたちが領主の

圧政と宗教弾圧に対して起こした一揆。
一揆軍のリーダーは天草四郎17歳。
数ヶ月にわたった反乱は、一揆軍が立てこもった
原城陥落により終息。



だいたいこんな内容で記憶していました。





斎藤一ツアーに連れて行ってくださったA氏の言葉


「鈴木家(斎藤一実家の主家)のご先祖は島原の乱に関わった」


鈴木家と島原の乱の関わりを知るために、まず

鈴木家について調べました。




わたしが調べ物をする時には、いつも最初に

ネット検索してみます。
ただしネット情報をそのまま信じるわけでは

ありません。
というよりも、ネットは参考文献を探すためにしか

使いません。
ウィキペディアやAmazonで、調べたい人物名などを

検索してみて、どのような参考文献があるのかを

みます。
他には国会図書館の検索機能もよく使います。

どんな文献があるのかわかれば、

図書館へGo!です。





鈴木家は旗本であることがわかっているので、

図書館で武鑑を閲覧しました。
歴史好きの間では知られたことですが、

武鑑というのは江戸時代に出版された

武士の名簿です。
他には藩で作られた分限帳という藩士名簿

もありますし、現代では旗本や大名の情報を

まとめた辞典も出版されていますので

とても便利です。





そうやって調べた鈴木家というのは、

なかなかの家でした。



鈴木家は三河から家康に従って江戸へやって来た

三河武士の家です。



この鈴木家の正三(しょうさん)という人は、

関ヶ原合戦や大坂の陣で武功をたてて旗本に

なりましたが、その後出家して僧侶になりました。


旗本が出家することは禁止されていたにも

関わらず、徳川秀忠が温情をかけてくれたお陰で

正三は罰されることなく出家が許されました。



鈴木家の家督は正三の弟・重成が継ぎました。

重成は天草・島原の乱で松平信綱に従い出陣。
乱終息後は天草代官となり、善政を布きました。
また、戦乱により乱れた人心を鎮めるため、

兄・正三を天草に呼び寄せ、キリシタンの教えが

広まっていたこの地方の人々を仏教に

改宗させました。



重成は名代官として領民に慕われ、死後は

領内各地に鈴木神社が建てられました。
現在も天草地方に数多くの鈴木神社が

残っています。



鈴木正三・重成に関しては現在もその威徳を偲ぶ

人たちにより顕彰会が運営され、知行地の

足助(現・愛知県豊田市)には鈴木重成記念館もあります。
研究書も数多く出ており、すぐに詳しいことが

わかりました。




そして島原の乱を調べるうちに、とても重要な人物が

いることを知りました。




その人の名は三宅重利(藤兵衛)といいます。







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