
【帯】
「ケンカ十段」と呼ばれた芦原英幸先生は1970年代、人気少年漫画雑誌に颯爽と登場しました。
その野性的な身のこなし、超人的な強さ、人情味あふれるキャラクターは若者達の心を鷲掴みにしました。
当時多くの若者が実在する大山倍達館長や芦原英幸先生に憧れて「極真空手」の門を叩いたのです(私もその中のひとりです)。
漫画やアニメ、映画などのおかげで「極真空手」は爆発的なブームとなり、どこの道場も目をぎらつかせた若者達の熱気で溢れかえっていました。
半年続けば「奇跡!」だと言われた当時の極真の道場は、まるで入り口と退会の出口が一本の道で繋がってるかのように、入っては消え入っては消えの日常で、常に道場はまっさらな「白帯」達で埋めつくされてるような状態でした。
険しい道を生き残り、色の濃い「帯」を締めた一握りの先輩方は皆の羨望の的だったのです。
現在はまわりの環境も整い、長く空手を続ける人達も増えてきており、色帯を締めた道場生の数もグンと増えました。
元々極真の帯は「白、茶、黒」からスタートしたようです。
まだ大山道場の頃の話ですね。
そのうち白と茶の間に緑帯が生まれ「白、緑、茶、黒」となり、極真会館に名称を変えてからは更に「級」を細かく「色帯」で分けるようになったのです。
それには当時の本部師範代中村忠氏(現、誠道塾会長)の助言が少なからずあったと言われています。
ところで「ケンカ十段」の名で知られた芦原先生ですが、空手が何段だったかを知る人は少ないですよね。
極真会では昭和39年に初段を授かり、昭和41年に本部指導員、そしてその翌年には極真会館国内支部作りの第一号として早々に四国の愛媛に赴任されています(入門から5年半目)。
昭和55年に「芦原会館」として新しいスタートを切るまで、極真会館には19年間在籍し、その間「四段」くらいまでは上がっていったとは思うのですが、それ以後ははっきりとはわかりません。
新しく芦原会館になってからも、自ら何段と名乗ることはなく、帯には段の目安となる金線も入っていませんでした。
それよりも当時の弟子達は芦原先生が道着に着替えるのが恐ろしく早く、そして帯が異常に短かったのを覚えています(指導員室に入り空手着に着替えて出てくるまで20秒!)
芦原先生は「空手十段」ではなく、あくまでも「ケンカ十段」のまま生涯を閉じられたのでしょうね。
空手はほとんど全ての流派で「段級位制」を用いており、
その多くが「無級から一級」「初段から十段」までとなっています。
しかし生前大山総裁が十段だった為、極真会から分派した団体、流派の最高位はそのほとんどが「九段」までとなっています(元弟子で十一段を名乗る人が2名います)。
伝統派のほうは「十段位」が特に沖縄に多いようです(これまでの歴史で130名ほど)。
「段位制度」は江戸時代、囲碁の世界で始まり、その後明治になって「級位」が加わり、武芸や競技の世界で広く取り入れられました。
武道ではまず最初に柔道が「段位制」を取り入れ、その後「級位」も組み入れて「段級位制」となりました(剣術はそれ以前に級位制のみが存在した)。
空手は柔道にならい、1924年(大正13年)に船越義珍(ふなこしぎちん)氏が4名に発行した段位が始まりだと言われています。(その中のひとりは「和道流」の開祖、大塚博紀氏)。
柔道で「十段」を許されたのは、これまでに国内で15名程しかいないそうです。
剣道は現在最高位は「八段」まで、少林寺拳法は「九段」までとなっています。
空手の帯の色はまっさらな「白」から始まり、太陽の「オレンジ」、水の「青」、初心の「黄色」、草木の「緑」、大地の「茶」、そして強い信念を表す「黒」へと徐々に色が濃くなっていきます。
青のあとに薄い黄色がくるのは「そこで一旦初心を忘れるな」と言う意味合いがあるからです。
一段とは言わず「初段」と呼ぶのは、その始まりが「段位制」だった頃の名残で「一番最初の」と言った意味があるからです(昔も今も初段がスタートラインですね)。
空手のすべての流派が黒帯に金線(筋)を入れて初段、二段、三段としてる訳ではありませんが、極真系と沖縄空手道協会は帯に線(筋)を入れて段位を表しています。
更に極真系では奇数の級に銀線を入れて分けています。
「帯」の歴史を紐解いてみますと、最初は「狩り」などで使用する武器や道具類を差す為の「腰ひも」としてスタートしたようですね(衣服の誕生よりも前)。
衣服が誕生してからは、それを止める役割がプラスされ、着物の発達と共に次第に「ひも」のような形状から幅が広い「帯」のようなものへと変わっていったのです。
帯がファッションの一部としての役割を持つようになってからは、結び方にも工夫を凝らし、結ぶ位置もそれまで基本だった「前結び」から「後ろ結び」へと変化していきます。
一時期江戸時代では未婚女性は「後ろ結び」、既婚女性は「前結び」の習慣があったそうです(今もその風習が一部地域で残っている)。
家事をする事のない(邪魔にならないので)上流階級の女性や「花魁(おいらん)」などは華やかさをみせる為に「前結び」だったようですね。
空手着の「帯」は当然と言えば当然ですが「前結び」です(後ろで結んでしまうと相手に掴まれ身体をコントロールされてしまいます)。
それには少なからず見栄えも関係しています。
空手の帯が柔道の帯より長めなのは寝技が少ないと言うのもひとつの理由ですが、ある程度の長さによる「見栄え」と型の時などに身体の「キレ」を表現する役割があるからです。
空手を修行していく中で「帯」の色は常に目標になります。
そして実際は同じ色の帯を締めていても、人によって実力差は必ずあります。
レベルに達している人は更にもう一段上の帯を目指し、達していない人は一歩でもその帯に近づけるように努力しなければなりません(授与にはふたつの意味があります)。
そして今「黒帯」はひと昔前に比べ、遥かに取りやすい時代だと言われています。
しかしあくまでも「黒帯」はスタートラインなのです。
常に後輩達のひとつひとつの疑問に答えていかなければなりません。
日々勉強です。
そこからが「始まり」なのです。

『花咲く空手教室』

すみだ生涯学習センター
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花咲く空手教室
織田