今日はさらに時間がない。
しかしこれは時間がなかったわけではなかっただろう。
セネカさんが言うようにやはり、俺たちは時間を浪費している。
もっと、もっと生き抜きたい
何かを人に伝えるときに、そこに例や証拠を明示することによってその話の説得力が増す。
ましてや著者が見えない、このblogの場では、さらに重要になってくる。
しかし、今日はあまりそうもいきそうもない。
いつものように信用に足るものかは怪しげな記事でございます。
受け手の自由であります。
もう言ってしまいます。
自分の常識を疑え。
君の常識はすべて、君の周りの環境が造り上げたものだ。
たった一人の人間が生きてきた環境にどれだけの真理がありえようか。
もっと多様に生きれたら
自分自身を絶対的な位置においてしまうくだらない愚か者にはならない
そーいった愚か者は柔軟性にかける、学びがストップする
もったいないよな
よく意味わかんないだろ。
頭の中でこの問題のイメージはできているんだ。
疲れてるな。
まぁまた書きます。
多様に生きたいのなら、本を読まずにいられるか。
がんばろうぜ。
じゃー