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airaのブログ

なんでもない、日々の事を書いてます。

久しぶりに、ここにブログを書く。

 

お婆ちゃん、義父が亡くなって、随分時間が経ちました。

 

普段と変わりなく生活しています。

 

ただ、去年(平成29年)11月に長年飼っていた、猫のみけが、急に亡くなりました。

 

いつもと変わらず、朝5時に台所に行くと、寝ているみけを発見。

 

本当に寝ているようでした。

 

よく見ると、息をしておらず、すぐ、主人をお越し、抱きかかえて泣きました。

 

前日夜は普段と変わりなく、甘えて、泣いていたのに・・・。

 

何で気づいてあげれなかっただろう。

 

悔いが残ります。

 

以前犬が亡くなった時お世話になった、ペット霊園に朝6時に電話。

 

すごく、嫌な顔、嫌な雰囲気も感じさせない、返答を朝の6時にして下さいました。

 

運悪く、私が、20時まで仕事。

 

火葬が出来る時間は過ぎているとの事。

 

でも、以前利用した事を伝えると、「では、火葬はします。骨拾いはこちらでさせていただきます。それでもいいですか?」

 

との返答だった。私達夫婦はそれでよかった。

 

でも、ご厚意で、火葬後の骨拾いもさせてくださった。

 

遅い時間にも関わらず、全ての事をさせてくれたのです。

 

凄く感謝と、うれしさと、ちゃんと大好きだったみけを送ってやることが出来たこと。

 

「ありがとうございました。」

 

 

 

翌日

11月28日。

この日、実家の母から、「お婆ちゃんの容体が急変した。覚悟決めておいてね。」っと言うメールだった。

 

信じられない気持ちで一杯だった。

 

なぜか、この日も仕事だった。

人もいない、代わりもいない。

義父の時と一緒だった。

 

でも、大好きなお婆ちゃん。

 

私の気持ちは、「すぐにでも行って傍にいたい。」だった。

 

早退して、タクシーを実家近くの病院まで飛ばした。

病院に行くと、変わりきったお婆ちゃんの姿があった。

まだ呼吸もしており、目は開かないけど、わかってくれてるような気がした。

家族、親せきが集まった。

お婆ちゃんが、それだけみんなに好かれていたんだと改めて感じた。

 

夜も遅くなり、母と病院に泊まる事にした。

 

母と昔話をしたりして過ごした。

 

私は、弟との二人兄弟。

両親共々仕事をしていたから、お婆ちゃんがいつもそばにいてくれた。

そのお婆ちゃんが苦しそうだった。

私が出来る事は、声をかける事だけだった。

介護の仕事をしているのに、出来る事が何もなかった。

お婆ちゃんにかなえてもらった、介護の夢だったのに、何も出来ない自分がすごく嫌だった。

 

徐々に夜が明け始めた。

父も朝病院に駆け付けた。

 

父と母と、私。

母がお婆ちゃんに、「よく頑張ったね、一緒に家に帰ろう。」と話をした。

お婆ちゃんの目から涙が流れた。

その瞬間、お婆ちゃんは息を引き取った。

 

母が自分が悪いと取り乱している中、葬儀等の手配を行った。

義父でしたばっかりだったからでもなく、私がしっかりしなきゃと思ったから、何も考えられなかった。

 

手配を行い、またどたばたに通夜、葬儀が行われた。

 

私は、12月3日、4日と嵐のライブが控えていた。

 

こんなことを言ったら非常識って言われるかもしれないけど、

「何で、この時期なの?」と少し思ってしまった。

 

でも、両親にも許可をもらい、両日ライブに参戦させてもらった。

 

なんだかいつもと違うライブだった。

 

涙が止まらないライブだった。

 

嵐の「Miles Away」バラードで、私の大好きなニノがほぼほぼ目の前でこの歌をうたっていた。

もう涙が止まらなかった。

友人に隠しながら、一杯泣いた。

 

大好きなお婆ちゃんを思いながら。

 

この両日、一日目ハートの落下物がとれ、

二日目には、私の頭上を銀テが迷うことなく、降ってきた。

まるで、お婆ちゃんからのプレゼントのように。

手を上げると、私の手の中にスーッと入った。

 

また涙が止まらなかった。

 

「ありがとう・・・。」

 

これで去年の話は終わり。

 

義父の悲しみもあるけど、やっぱりお婆ちゃんの悲しみの方が強く。

 

今でも、「会いたいよ。」

 

この曲を聴くと涙が今でも溢れてきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

久しぶりにブログを書いています。

去年は、大変な年でした。

何で今、この瞬間に去年の話をブログに書いているか?

わかんないけど、なんか無性に書きたくなったので書いています。

前半は何事もなかった。

大好きなお婆ちゃんも、不自由ながら、老健で一生懸命生活をして

いた。

義父も、相変わらず私とは若干距離はあったけど、なんとか元気で

仕事もしていた。

そんな生活が一変したのは、去年の後半の話。

10月後半、仕事中だった、私のスマホがなった。

普段ならないのに、この日のスマホはいつもより振動も強かったような

気がした。

 

旦那からの℡。

「親父が事故にあった。手術が必要。どうしたらいい?」と少し

慌てたような電話だった。状況がつかめなかった。

とにかく、「助かるなら、手術するのもいいかも。妹さんはなんて言ってるの?」「連絡がとれん。どうしよう。」と話をし、とりあえず医師の話があるとの事で、電話を切った。

 

私もどうしていいのかわからなかった。

実家の母に電話する。

「すぐ行かなきゃだめよ。」と言われる。でも仕事もあった。代われる人もいなかった。

 

でも、また旦那から℡が鳴った。

「もう駄目かも・・・。」って。

その瞬間、なんだかわからない感情で涙があふれた。

すぐ、会社に説明し早退させてもらった。

 

病名「脳梗塞による事故」

運転中に脳梗塞を起こしたらしい。

朝早かったので、大した事故ではなく、縁石を乗り上げ、街路樹に

ぶつかって止まった様子。

二人目のひ孫に逢いに行こうとしていたようだ。(産まれたばかり)

 

病院に行き、普段付き合いをしない旦那なので、親戚の人とかに

挨拶とかしながら、嫁の働きをした。

旦那はバツイチ、子持ち。

結婚を決意した時、すべてを私がしなくちゃと思っていた半面、「義父や親せきはいい感じに思ってないと」

 

でも、周りはすごく優しかった。

受け入れてもらえていたんだ。

 

そんな義父は、事故から2日目亡くなった。

 

どたばたに、通夜、葬儀と終わった。

 

49日の段取りをして、一日一日を過ごしていた。

 

49日無事骨納も終わった。

11月27日。