翌日
11月28日。
この日、実家の母から、「お婆ちゃんの容体が急変した。覚悟決めておいてね。」っと言うメールだった。
信じられない気持ちで一杯だった。
なぜか、この日も仕事だった。
人もいない、代わりもいない。
義父の時と一緒だった。
でも、大好きなお婆ちゃん。
私の気持ちは、「すぐにでも行って傍にいたい。」だった。
早退して、タクシーを実家近くの病院まで飛ばした。
病院に行くと、変わりきったお婆ちゃんの姿があった。
まだ呼吸もしており、目は開かないけど、わかってくれてるような気がした。
家族、親せきが集まった。
お婆ちゃんが、それだけみんなに好かれていたんだと改めて感じた。
夜も遅くなり、母と病院に泊まる事にした。
母と昔話をしたりして過ごした。
私は、弟との二人兄弟。
両親共々仕事をしていたから、お婆ちゃんがいつもそばにいてくれた。
そのお婆ちゃんが苦しそうだった。
私が出来る事は、声をかける事だけだった。
介護の仕事をしているのに、出来る事が何もなかった。
お婆ちゃんにかなえてもらった、介護の夢だったのに、何も出来ない自分がすごく嫌だった。
徐々に夜が明け始めた。
父も朝病院に駆け付けた。
父と母と、私。
母がお婆ちゃんに、「よく頑張ったね、一緒に家に帰ろう。」と話をした。
お婆ちゃんの目から涙が流れた。
その瞬間、お婆ちゃんは息を引き取った。
母が自分が悪いと取り乱している中、葬儀等の手配を行った。
義父でしたばっかりだったからでもなく、私がしっかりしなきゃと思ったから、何も考えられなかった。
手配を行い、またどたばたに通夜、葬儀が行われた。
私は、12月3日、4日と嵐のライブが控えていた。
こんなことを言ったら非常識って言われるかもしれないけど、
「何で、この時期なの?」と少し思ってしまった。
でも、両親にも許可をもらい、両日ライブに参戦させてもらった。
なんだかいつもと違うライブだった。
涙が止まらないライブだった。
嵐の「Miles Away」バラードで、私の大好きなニノがほぼほぼ目の前でこの歌をうたっていた。
もう涙が止まらなかった。
友人に隠しながら、一杯泣いた。
大好きなお婆ちゃんを思いながら。
この両日、一日目ハートの落下物がとれ、
二日目には、私の頭上を銀テが迷うことなく、降ってきた。
まるで、お婆ちゃんからのプレゼントのように。
手を上げると、私の手の中にスーッと入った。
また涙が止まらなかった。
「ありがとう・・・。」
これで去年の話は終わり。
義父の悲しみもあるけど、やっぱりお婆ちゃんの悲しみの方が強く。
今でも、「会いたいよ。」
この曲を聴くと涙が今でも溢れてきます。