大事な大事な白文鳥のつぶちゃんが9月1日月曜日にお空に旅立ちました。
つぶちゃんは満10歳7ケ月でした。
いつかこの日が来てしまうと分かっていても
前日までいつも通りのつぶちゃんだったので
まさかこの日が『今日』だとは思いませんでした。
いつも通りと言っても実はつぶちゃんの変化も感じていました。
亡くなる数日前からつぶちゃんの身体に力が入っていなかったのです。
力がなく身体を全て私に預けている感じでした。
そして数日前の朝に血の混ざったうんちをしたのです。
それを見た時はびっくりしてとても心配したのですが
血の混ざったうんちはその一度だけだったので
血ではなかったのかも・・と安心してしまいました。
そんなことがあっても『つぶちゃんはいつも通り』だと私が思ったのは
つぶちゃんが体調の悪いのを隠していたからかもしれません。
鳥は体調が悪いとそれを隠すのです。
でもつぶちゃんが体調が悪くても私にはどうすることもできなかったと思います。
つぶちゃんを翌日の9月2日午後より火葬しました。
本当はもっとゆっくりかわいいつぶちゃんと一緒にいたかったのですが
なんといってもこの暑さです。
仕方ありませんでした。
悲しくて悲しくて号泣するとはこういうことだと知りました。
息ができなくなるほど泣きました。
でもつぶちゃんと一緒に過ごした10年半もの時間は
毎日が本当に楽しかった。つぶちゃんがかわいかった。
家族の中でもいつも中心にいてくれて
話題はつぶちゃんのことばかりでした。
つぶちゃんがいてくれたから私も笑顔になれた時間が多かったのです。
つぶちゃんは病院に行くこともなく元気に10歳以上も生きてくれました。
本当に感謝しかありません。
つぶちゃん、本当にありがとね。
大好きだよ!!
また会おうね!!
娘とつぶちゃんの祭壇をどれにしようかと相談していた
9月7日日曜日の午前中。
今度は母が亡くなりました。
前回の記事に書いたように母は余命宣告を受けていましたが
まさか、一週間の間につぶちゃんと母の両方を亡くすことになるとは
夢にも思いませんでした。
母が入院していた病院の同じ病室の人がコロナに感染したため、
病院からしばらく面会できなくなったと連絡があり
毎日行っていたお見舞いにも丸1週間行けませんでした。
コロナに感染した人と同じ病室に閉じ込められているため
母もコロナに感染してしまうのではと心配していたのですが
母は感染はしておらず熱もなく血圧も安定しているとのことで
来週の月曜日ぐらいからもしかすると面会解除になるかもと言われたのですが
面会できないまま母は亡くなりました。
9月8日にお通夜
9月9日にお葬式をしました。
家族葬だったのですがご近所の方や私のいとこがたくさん来てくれて
母がいかに人とのお付き合いを大切にしていたか分かりました。
いとこ達が「おばさんはすごく優しかった」と言って泣いてくれました。
とても有難かったです。
そして兄の喪主挨拶には泣かされました。
兄は一人で認知症の母の世話をしていて
施設に入る1年ちょっと前までは本当に大変だったのですが
その母への介護には後悔があるようでした。
私からすれば十分に母を介護し母のことを大切にしていたと思います。
でも認知症の母には言ってもなかなか伝わらず、
母に暴言を吐いたりして母を泣かせてしまったこともあったと。
なので
「また生まれ変わっても母の子供に生まれたい。
そして今度はもっともっと母を大切にしてもっと幸せにしたい」と。
心のこもった喪主挨拶を聞いて
母は本当に兄と過ごせて幸せだったと思いました。
母は私にとっても本当に自慢の母でした。
誰にでも優しくて頑張り屋でスポーツも得意で明るくて友人も多かった。
私も母みたいな人になりたいですし、
生まれ変わってもまた母の子供で生まれたいと思います。
お母さん、ありがとう。
お母さんに大事に育ててもらって幸せでした。
本当に本当にありがとう。
ゆっくり休んでね。
悲しすぎることが続きましたが
つぶちゃんも母もどうしてこのタイミングだったのか。
まるで私の事情を分かっていたかのようでした。
私はずっと前から足首にできた腫瘍に悩んでいました。
その腫瘍のせいで歩くのが困難なほど痛くなったのが7月。
そして検査した結果、個人病院では手術できないので
総合病院に紹介状を書いてもらいました。
でも母の状態とつぶちゃんの年齢から
どちらもいつどうなってもおかしくなかったので
総合病院にいくことすらためらっていました。
そして先月の末にやっと総合病院で検査をしてもらい
手術の日を決めました。
母とつぶちゃんのことを考えて10月に手術をすることにしてもらったのですが
本当に、つぶちゃんも母もそのことを知っていたのかもしれません。
だから慌てて9月に・・・。
実際、つぶちゃんが先に亡くなったので
母の葬儀時はつぶちゃんのお世話の心配をすることなく
葬儀だけに向き合えました。
そして母も亡くなったので私はもういつでも手術ができるのです。
手術といってもまずは良性か悪性かを調べるために
腫瘍の一部を採取するだけ手術なのでわずか1泊2日。
それでも万一その日に何かあったら・・・と気になっていたのです。
本当に何も心配することなくしっかり母を見送れました。
つぶちゃんと母を見送って
心に穴が開いてしまったような感じです。
妙に時間が余ってしまって
どうしたらいいのか・・・
ま、とりあえず
少しのんびりしてから何か目標を決めようと思います。