私には、中国残留孤児だった叔父(Mおじさん)がいます。
私の父の弟です。
昔、満州から日本に家族で戻る時にMおじさんだけが離れてしまったそうです。
でも、幸運なことにMおじさんは親切な現地の中国人の方に大切に育ててもらっていました。
その後、Mおじさんを探しだした家族が迎えに行っても、
子供だったMおじさんは日本に帰ることを拒んだそうです。
なので、正しい意味での残留孤児とは違うかもしれません。
そして、Mおじさんはそのまま中国で成人し、中国の人と結婚しました。
子供も生まれ、中国で暮らしていました。
今から20数年前のこと。
ついにMおじさんが自分の家族を連れて、日本に帰ってくることになりました。
でも、Mおじさんの帰国には、たくさんの手続きが必要でした。
そして、たくさんの決めなくてはいけないことがありました。
家族の日本名をつけることから始まり、
住む場所、仕事場、学校などなどさまざまな手続き・・・。
Mおじさんの娘さんの一人はすでに中国で結婚していたので、
その娘さん一家の住む場所も、
彼女のご主人の仕事先までも探さなくてはいけませんでした。
それら全ての手続きは、私の父が一人で行いました。
当時、すでに私は結婚して家を出ていたので、
父の苦労がどれほどだったのかは分かりませんが、
Mおじさん一家が日本語を全く話せなかったことも加えると
その大変さは想像できます。
Mおじさん一家の帰国手続きをしている時に、
父が頭が痛くて痛くて、県庁まで行くのに駅で休みながら行ったということを聞いたことがありました。
それでもなんとか父は全ての手続きを終えて、
無事にMおじさん一家は帰国しました。
Mおじさん一家が帰国してすぐのことです。
父がくも膜下出血で倒れました。
そして、手術は成功したものの、
半年後に亡くなりました。
昨日、数年ぶりに、Mおじさん一家と会いました。
私は日本語が上手になったMおじさんの娘さん達と話しました。
Mおじさんの娘さん達は、お彼岸近くになると必ず父のお墓参りに来てくれます。
私は会う機会はないのですが、母からそう聞いていたので、
昨日、娘さん達に
「いつもお父さんのお墓参りにきてくれてありがとね。」と言いました。
すると、娘さん達は、
「今、私たちがこうして日本で幸せに暮らしているのは、
伯父さんのおかげだから。伯父さんのおかげだから。」
と言ってくれました。
父が亡くなって20年以上経っています。
それなのに今も忘れず必ずお墓参りに来てくれる。
その上、私の母についても、
「本当は、もっとたくさん伯母さんの家に行ってあげたいと思っているけど、
仕事があってなかなか行けなくてごめんね。
伯母さん、昼間は一人ぼっちで寂しいと思うから本当にもっと行ってあげたい。」
と言ってくれたのです。
それは本当は娘である私が母にしてあげなくてはいけないこと。
それを私の従姉妹であるMおじさんの娘さん達が思ってくれるなんて・・・。
従姉妹たちのその優しさに涙が出ました。
お父さん。
入院中、私が顔を出した時よりも、Mおじさん一家が来てくれた時の方が嬉しそうな顔したよね。
従姉妹のKちゃんと、Sちゃんの顔を見て涙を流したよね。
お父さんがものすごく頑張ったから
みんなを帰国させることができて、本当に良かったね。
Sちゃんの子供は帰国した時、まだ本当に小さかったけど、
今は大学を出て、社会人になったって。
もう一人の子は高校生だけど、優秀で、中国に留学しているんだって。
Kちゃんの子供は一番下がまだ2歳なんだって。
かわいいだろうね。
お父さん。
お父さんが会わせてくれたMおじさん一家は本当に優しい人ばかりだよ。
そんな優しい従姉妹たちに会わせてくれて、
本当にありがとう。