無明庵の動画で、「寂しさの本質と原因を理解する」(現在は非公開になっており見ることができない)の中で、繰り返し寂しさを理解して寂しさの中心に立ち尽くしなさい、と言われていた。
その寂しさの感情を、理解することができた
自分の大事な人が、何かを私より大事に思っている
自分の大事な人が、誰かを私より大事に思っている
自分の大事な人が、何かを、私のことより優先している
そんなときに、寂しいのだ
自分は 誰か 何か より、大事な人から見て価値が無いー 優先順位が低いー
そう感じたときに、寂しくなる。自分で、自分のことを価値がない、優先順位が低いと感じた瞬間に、とても寂しくなるのだ
そして、理解できたことがある
他人が、私よりも他の人や他の事を優先するのは、その人の自我の作用だ
私の自我は、何よりも私を大事にして、私の命と私の人生を大事にしている
でも、他人の自我はそうではない。私の命や私の人生より優先したり、大事に思ったりすることはあるのだ
それが他人の自我だ
この、「寂しさ」の中心に立ち尽くして、味わったときに、感じたものがある
それは、自分の自我の壁と、他人の自我の壁だ
とても、分厚く、大きく、決してお互い交わることのない自我の壁
これがある限り、人は人を優先しないのだ 自分の世界で、自分が優先すべきものを優先する
この自我の壁がある限り、人間は一人であり、一人ぼっちである
子は、母が自分を中心に見てくれるだろうと思って、自分の自我と母親の自我を同一視する
子供は自分を優先するが、母親も当然自分を優先してくれるだろうと思ってしまう
しかし、母親には母親の自我がある
カッコいい男性とのセックス、ショッピング、美食、睡眠、化粧、宝石、酒、テレビ、スマホ……
いくらでも子供より関心が高いものがある
その分厚い自我を感じたときに、寂しいのだ
しかし、寂しいけど、どこか安心感もある
相手の分厚い自我を感じるとき、自分の自我も感じる
1人だけで、完成している世界を感じる
私の周りと胸の中心を満たす「寂しさ」は、それそのものが自我を持っている証拠だ
この寂しさが、自分自身の自我であり、感じるべき感情であり、ごまかしてはいけない感情なのだ