「レイチェル・カーソンの世界へ(上遠恵子・かもがわ出版)」を読みました。
レイチェル・カーソンは、アメリカ合衆国のペンシルベニアに生まれ、1960年代に環境問題を告発した生物学者です。当時、州当局が積極的に散布していたDDTなどの合成化学物質の蓄積が環境悪化を招くことはまだ顕在化しておらず、その啓蒙活動を行った彼女の意義は大きかったと評価されています。特に、1962年に発表した『沈黙の春』は、農薬類の問題を告発した書として米国政府にまでその衝撃が伝わりました。本書を基にケネディ大統領は大統領諮問機関に調査を命じました。これを受けアメリカ委員会は、1963年農薬の環境破壊に関する情報公開を怠った政府の責任を厳しく追求し、DDTの使用は以降全面的に禁止され、環境保護を支持する大きな運動が世界的に広がりました。
私とレイチェル・カーソンとの出会いも、この『沈黙の春』です。1974年に新潮文庫が『沈黙の春』の翻訳本を出版しましたが、最初は、それほど読まれていたという印象派ありませんでした。当時、私は20代後半で、研究者として研究に没頭していました。ある日、研究所長が1冊の本を差し出して、「この本を読んでみなさい。面白いよ」と薦めてくれたのが『沈黙の春』でした。
この本を読んで衝撃を受けました。当時、私は、科学技術は人類の進歩に貢献すると信じて研究活動を行っており、科学技術のマイナス面を考えることはありませんでした。『沈黙の春』の中でレイチェル・カーソンは、農薬のような化学物質を無制限に無秩序に使い続けていると、やがて春が来ても鳥も囀らず、虫の羽音も聞こえない沈黙した春を迎えるようになる、と警鐘を鳴らしました。この警鐘は、科学技術が絶対であると単純に信じていた私にとって、大きな衝撃でした。それから20年余りの研究生活で、この警鐘を忘れたことはありません。
『沈黙の春』の最終章で、カーソンは、「私たちはいまや分かれ道にいる。ロバート・フロストの有名な詩とはちがって、どちらの道を選ぶべきかいまさら迷うまでもない。長い間、旅をしてきた道は素晴らしい高速道路ですごいスピードに酔うこともできるが、私たちはだまされているのだ。その行きつく先は禍であり破滅だ。もう一つの道はあまり人もいかないが、この分かれ道をいくときにこそ、私たちの住んでいる地球の安全を守る最後の唯一のチャンスがあるといえよう。とにかく、どちらの道を選ぶべきかきめなければならないのは私たちなのだ」と述べています。私達は、正しい決断をしなければいけません。