なんか、漠然と考えていたことを、ぷにたまさんがズバッと記事にしてくれました。早速、リブログさせていただきます。![]()
小学生の高学年にもなると、子供たちは「男子」「女子」を意識するようになります。二次性徴の現れる年齢ですので、これは仕方がありません。ですが、ぷにたまさんがおっしゃるように、能力面での性差は、基本的には存在していないはずです。
男の子だから…
体力面での平均的な性差はあるかもしれませんが、それでも運動能力の高い女の子や裁縫の得意な男の子など、個人差の影響の方が大きいと思います。「男の子だから、しっかり運動しなきゃ…」などは、そういう育てられ方をしてきたから、男の子は、運動ができるのが当たり前だという固定観念を持っているだけに過ぎない…と思っています。先天的な特性は、あるかもしれません。ですが、それは個人差によるものであり、決して性別の違いで起こることではないと思います。
理系脳/文系脳
同じように、瓜兄(息子)も、とあるママ友さんからこのように言われたことがあります。
「瓜兄君は、男の子だから、やっぱり理系科目に強いね。」
…どこからツッコんだらいいんでしょうか?
まずは、「男の子 = 理系に強い」から処理しましょう。
いや、全体的には、そのママ友さんは、瓜兄のことを褒めてくれたんですよ。それが解るから、私も普通に「そんなことはないですよ。」とは答えたけど…心の中では、『いや、“男の子だから”は、別にこの話の中で、要らないよね。』と思っていました。
別に男の子だろうが、女の子だろうが、算数に強い子は強いし、国語に強い子は強い。性差ではなく、個性です。
男子=理系 / 女子=文系 という無意味な分類は、要りません。それは、本人の思考と志向と嗜好で決めてください。女性がエンジニアになっても、男性が総務職に就いても、何も問題ないのです。
そして、もう一つ…「今、小学生のうちに、理系/文系なんて話を意識する必要がありますか?」 これも処理しましょう。
中学受験生の保護者で話をすると、よく「ウチは文系だから」とか、「親が理系だから、うちの子も理系に強くて」とか、理系/文系などという言葉を聞く機会があります。理系/文系などというものは、高等教育で専門性を極めていく際に、数学や科学のように、自然科学的なものを重視するのか、文学や語学、社会学のように、社会科学的なものを重視するのかの差でしかなく、それこそ初等教育で簡単に差が出るものでもないし、ましてや先天的に決まっているものではないと思っています。成長過程でインプットされてくる情報に影響されて、得意不得意が分かれてくる可能性はありますが、中学受験の時点で、その子が理系/文系なんて決まるわけがないと思っています。
それこそ、前述のように、これから自分の将来を考えていくうえで、本人の思考と志向と嗜好で決めてください。
まとめ
なんか、記事の内容を、散らかしたままの状態になってしまっていますが、何が言いたいかというと…
性別による縛りもそうですが、まだまだ小学生のうちから、自分の子に対して、勝手な縛りを設けてしまっている保護者って、多くないですか? という疑問を持っています。
教科による得意不得意は、現実的に成績として現れます。しかし、その得意不得意を本人の特性ではなく、ご家庭内での変な先入観で作り出していないでしょうか?
「うちの子は、理系だから、国語は酷語なの…
」この言葉が、自分の子への呪縛になっていませんか?
本人が苦手だと思った教科の家庭学習はやりたがらなくなります。そして、その結果成績が振るわなくなり、苦手な教科という思いを補強していく…負の連鎖に落ちります。
性別とともに、子の特徴を保護者が勝手に決めつけてしまうこと…していませんでしょうか?
私の個人の考えですが、瓜兄への伴走中に、どの教科が「苦手」だとか、ましてや「あなたは文系だね」とかそんな決めつけはしないように、心がけていました。
そのおかげ…ってわけでもないのかもしれませんが、瓜兄は得意教科も不得意教科もなく、4科それぞれの偏差値に大きな差がない状態で、6年生後期の受験生追い込み本番へ移行できたことは、とても良かったと思っています。
MikeNeko