このところ眼の調子が悪く殆ど文章とか読めてなかったけど、今日は少し良かったからダ・ヴィンチ1月号掲載の『ヒヨコノアルキカタ』(あさのますみ先生・文、あずまきよひこ先生・絵)を読んで思った事を少々。
確かに厳密に言えば自然界の法則に任せるのが本来の選択だし、そこに人間の手が入るのは許されるべき事じゃないのかもしれない。しかし、それは本来の自然や野生の話であるんじゃないかな?
既にそこは商店街という人間が手を加えた場所であるし、周りに公園や森林があったとしても、それは人工の自然とでも言うべきだと思う。野生動物の保護や救助活動、そして人工的に繁殖させて野生に返す活動は世界的にも盛んに行われてると思うけど、それは絶滅の恐れがあったり学術的に貴重だから、若しくは人間が生息地の環境を破壊してしまった場合が殆どだと思う。でもこのエッセイに書かれている行為が「犯罪」というのならば、そのような活動だって「犯罪」、そして人間が勝手に線引きしてるだけで、動物自体を勝手に区別してるだけじゃないかと。
例えばカラスが増え過ぎてゴミを漁って迷惑だからと駆除したり、ムクドリの鳴き声が五月蝿いからって撃退したり…それだって人間が自然に手を出してる「犯罪」と言うべき事ては?
それが「犯罪」じゃないならば、今回のあさの先生の行為は「犯罪」と呼ばれる行為では無いし、それを責める事は何人たりとも許されないと思う。
この話は一つの助からなかった命を、一人の女性が救いの手を差し伸べたって事だけにしとくだけでいいんじゃないかと。

誤解のないように言っとくけど、だからといって健康な普通の状態の野鳥を勝手に捕まえて飼う行為は「犯罪」ですからね、お間違えの無いように。

ではまたいつか。
今年初更新…
年末から眼の不調で前回飛ばしてしまったが、ダ・ヴィンチ連載中のあさのますみ先生のエッセイ『ヒヨコノアルキカタ』より。

色んな事柄に直ぐに影響されるのって、実はいい事だと思う。

騙されない限りは(笑)

何にでも興味を持ち関心するのはそれだけ自分を成長させる事だろうし、その中から少しずつ必要なのを吸収していけばいいんだろう。

物事に影響されないってのは無関心・無感動な実は空っぽなんじゃないかと。

ただ、熱しやすく冷めやすいって事でもあるのかな?

何にも持続出来ないで中途半端になってしまわないようにはしないと。
ア○パンマンですよね♪
えっと、これじゃ何言ってるかわかりませんね(笑)

今月のダ・ビィンチの、あさのますみ先生のエッセイ『ヒヨコノアルキカタ』06幼稚園見学

確かに自分に子供がいない限り、なかなか子供達と触れ合う機会は無いし、今の社会ってそういうのを排除してる感もあると思う、学生なんかだと結構機会あるのかもしれないが。

おうちごっこ。これ何の事だかわかります?
おママゴトを今ではそう呼ぶらしいですね。多分ママって部分が女性を表すからだと…看護婦とかスチュワーデス等の表現を変えたのと同じなんでしょうね。
今回の本題はそこではないからこれ以上は書きませんけど。

で、子供の(供←この字も教育的には使ってはいけないらしいんだけど)感性は大人には理解し難いし、自分が子供時代に感じてた事を今理解しよとする、また同じ目線になるのは非常に困難だという事。

で、あさのさんの子供時代。

動物を象っていたり描かれてたりする食べ物、あれが可哀相で食べる事が出来なかったという。大人なら先ずなんの疑問も無く平気に口にするだろうし残酷とも思わないけど、子供には大人が忘れてしまっている色々な感性がある、そしてたまにハッとさせられるんじゃないかと。

ますみんは自分の事をウソっこの「せんせー」と書いてますけど(幼稚園見学というより職業体験的な)ここで一緒に遊んだ子供達は多分この事を大人になったとき先ず覚えてないかもしれないけど、本当の意味での記憶の奥底に残ればいいし、そしてますみんも子供達から教わった何かしらをこれから多少なり糧になるんじゃないかと。

しかし、人は幼き時にあった感性を忘れて経験によって成長していく筈だけど、それは逆に素直な心で物事を見るのが出来なくなるって事かもしれない。生きていく為には仕方ないのかも、だけど悲しい事なのかも。