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 長篠の戦いの屏風絵右隻、武田軍方を描いたものである。
 馬場美濃守信房(屏風絵上部分)が同時進行で二か所に描かれている。
 徳川方で同じように「長篠合戦屏風絵」で描かれているのは、渡辺半蔵守綱(豊田市郷土資料館所蔵)の例がある。
 
 「最強・無敵武田騎馬軍団」とよく言われるが、馬に乗っている侍は多数確認できるが、騎馬軍団と言えるものは確認出来ない。
 「馬場美濃守信房」も戦うときには、下馬している。
 何時の時代からそのように言われるようになったのだろうか。
 各種の合戦図を見てもその様なものは無く、下馬して戦っている。
 「ヤマト」において明治期に入るまで「馬」に乗れるのは、その地位・身分の資格を持った者だけである。
 資格のある者と言うのは家の主人で、馬丁や槍持ちなどの徒歩兵を従えなければ行動が出来ず、いわゆる「騎馬武者」だけを集めてしまえば指揮官がいなくなってしまう。
 そもそも「騎馬武者」だけを集めた攻撃訓練を行ったとされる事例があるであろうか。
 
 「甲陽軍鑑」・「聖徳太子の黒駒伝説」などなどをどの様に理解されたのか、「信玄の覇道を支えた五つの謎4」を書かれた方は、以下のように述べている。
 無敵の武田騎馬軍団を支えた、甲斐から生まれた馬の実力・足軽隊にまで騎馬を使用した恐るべき武田氏の機動力ーおもしろいのは、足軽隊までにまで騎馬が使われていることである。足軽隊といえば、どこの家中でも徒歩(かち)がふつうだが、武田家では徒歩の足軽のほかに、一人の足軽大将に最高四十騎の騎馬隊がついた。まさに、武田騎馬軍団ならではと言えよう。
 一門衆ほか八名合わせ1,595騎・譜代家老衆など総勢17名の下に2,535騎、真田・海野など信州先方衆が2,637騎、西上野先方衆1,135騎、駿河先方衆320騎、遠州三河先方衆320騎、飛騨先方衆150騎、越中先方衆175騎、武蔵先方衆180騎、そのほか一騎合衆などがいた。
 以上武田騎馬軍団の総数9100騎あまり。騎馬武者は通常、一人あたり2、3疋の乗り替え馬を連れて行くから、馬の数はさらに、その二倍三倍にも膨れ上がる計算になる。
 騎馬軍団の最大の利点は、そのすぐれた機動性にある。あっというまに戦場にあらわれ、敵に襲い掛かる。それは、騎馬隊でなければ不可能である。(以上要約)
 
 いくら古代から甲斐の地に勅旨牧があり、駿馬を朝廷に献上している事実があるにせよ、ここまで書かれると、NHKテレビが昭和54年4月に放映した「歴史への招待ー義経騎馬軍団」と同レベルとしか思えない。
 
 
   引用        武田信玄の兵法
 
  鈴木純夫