機上から見た対馬島:1
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 対馬島の位置:2
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対馬島と対州馬:3
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 イ:対州馬は、九州最北端、日本海の西に浮かぶ「対馬」で、古くから人々に家族同然に愛されながら飼われ続けられている。
 対馬は面積約700km²、周囲約830kmで佐渡、奄美大島に次いで3潘目に大きく、平成16年3月1日から島内6町が合併して対馬市となった。
 島の約90%は標高300~500mの山々におおわれており、海岸は沈降にもとづくリアス式海岸であって各所に突角湾入を有する複雑な海岸線を示して、砂浜に乏しい。
 
 ロ:対州馬は、強健で耐久力に富み蹄が非常に強、く蹄鉄を打つことなく荷物を背負ったまま険しい山道・海岸の石ころ道でも平気で歩く事が出来る。
 また狭い場所でも荷物を背負ったまま、くるりと自由に方向転換が出来るという特性も持っている。
 性質は、後日写真を掲載いたしますが、しばしば農家の婦人の騎乗姿を話題にして説明されることがある。
 すなわち対州馬は温和で使いやすく、その飼養管理は昔から女性や子供が行うことが多かった。早朝、家々から女性たちが馬をひいて草刈に出かけ、帰宅後朝食をとる風習があったとされている。
 
 ハ:対州馬の名前の由来は、林田重幸博士によれば「対馬は古くから津島または対州と呼ばれていた。昭和になり島の雑種化が進行しはじめると、それまで島馬と呼ばれていた対馬固有の在来馬を対州馬と呼ぶようになった。対馬馬では馬字が重複するので対州馬といわれるようになったものと考えられる」とされている。
 
 二:対州馬の存在が確認出来るのは、古墳時代に属する上県町佐護白岳遺跡(かみあがたさごしらたけいせき)から馬具用銅器などの副葬品が出土している。
 古文献に対州馬が初めて記載されたのは、奈良時代、天平11年(739年)である。続日本書紀によると「対馬嶋目正八位上養徳馬飼連乙麻呂(やまとうまかいむらじ)が獲るところの馬は大宰府を経て朝献された」とある。
 その後、対州馬に関する記述は、多くの文献で確認でき、たびたび史実にも登場している。(後日掲載)
 明治期には4000頭以上の対州馬がいたが、平成24年7月5日現在では28頭を数えるのみで、そのうち今年生まれた仔馬は2頭である。
 
 
   引用          蘇れ対馬のたから   岡本 新 鹿児島大学教授
                対州馬          林田重幸 東京農工大教授
                              
  協力           対馬市上県地域活性化センター地域支援課 課長補佐 豊田捻房様