名古屋市中村区の秀吉清正記念館で開催の兼松正吉展に行ってきました。
これは入場無料の秀吉清正記念館の企画展。
この施設は立地もよく、豊臣秀吉や熊本城を築城した加藤清正の生誕地の近くにあり、企画展と史跡めぐり両方楽しむことができます。
あと資料館や企画展には珍しく、フラッシュを使わないなら写真撮影もできます。
コレ助かりますね。
これが兼松正吉展の展示室。
所狭しと並んだ資料のほか、わかりやすい解説パネルでが嬉しいです。
そんな中、印象的だったポイントを3つピックアップしてみます。
(1)マイナーな武将の活躍を知る
愛知県って武将ネタが豊富で、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康をはじめ、有名武将がたくさんいます。
そんな中、兼松正吉はあまり知名度もなく、どちらかといえばマイナーな部類に入ると思うんですよ。
でもこの企画展で、マイナーイメージが引っくり返りましたね。
まず、世の流れ(情勢)を見極めるのが非常にうまく、織田信長、豊臣秀吉、豊臣秀次、徳川家康、徳川義直に仕えています。
ここでのポイントは、仕える主君を間違うと滅ぶということ。
歴史は結果論ではありますが、特に秀吉⇒家康の転換がやはりうまい。
また大坂の陣の時。
尾張藩では70歳以上は出陣しないことになっていましたが、正吉は73歳でしたが徳川義直の共のために出陣しています。
これはよほど信頼というか、頼りにされていた事がわかりますね。
(2)やはり足半
兼松正吉はマイナーな武将と書きましたが、ひとつだけ有名なエピソードがあります。
それが信長公記にも書かれている、足半(あしなか)の話。
※足半の読みは あしなか
足半とは簡単にいうと、後ろ半分が無い草鞋(わらじ)みたいな履物。
これは天正元年(1573)、織田軍が朝倉軍を越前(現在の福井県)利根坂で追撃していた時のこと。
正吉は朝倉軍の武将の首を取り、信長の元へ行きました。
喜んだ信長が正吉の足を見ると、裸足で血まみれになっていました。
そこで信長は自分の足半を正吉に与え、兼松家では家宝として保存してきたのです。
つまり織田信長から直接拝領した足半、つまり信長の所持品だったものということです。
これは織田信長が好きな人にも見てほしい逸品ですね。
信長の高価な遺品はたくさん残っていますが、信長の日常品はあまり残っていないので、これは貴重ですね。
(3)ゆかりの史跡
武将好きの人は人物ゆかりの地を巡るのも楽しみですね。
兼松正吉ゆかりの地も数ヶ所あるのですが、一番驚いたのが、子孫の兼松家の門が東山植物園内に移築されているということ。
イケメンゴリラのシャバーニで有名な、あの東山動植物園ですね。
私も何度も行きましたが、この門は知りませんでした。
こういった発見が、歴史の面白さのひとつだと思います。
■そして感想■
私の兼松正吉展の感想ですが、知らなかった事をたくさん学べて面白かったです。
また冒頭にも書きましたが、中村公園や豊臣秀吉、加藤清正ゆかりの地をセットで巡ることもできるので、ついでに史跡めぐりも楽しみましょう。
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