愛知県西尾市で開催された三浦正幸氏の講演会に行ってきました!
今回のタイトルは、独創性に溢れた西尾城の天守と櫓
現在、天守台まで築かれている西尾城ですが、その天守台の上にどんな建物があったのか?
それを説明した講演会でした。
レジュメも非常に詳しく、専門性に高いものでしたが、著作権があるので文章で説明しますね。
今回は西尾城の天守に特化した講演会で、講師は広島大学大学院教授・三浦正幸氏。
この業界では有名な方ですね。
いろんな話がありましたが、要約するとポイントは次の通り!
・西尾城天守は黒壁
・一階は土間
・一階は12畳の部屋が4つの広さ
・本丸に天守を建てると狭くなるから二の丸に建てた
・創建は田中吉政らしいが、幕末までに建て替えもしくは改修されている
・西尾城は天守以外に三重櫓が2つ、二重櫓が11あった
・↑この規模は正直、30万石くらいないと維持がキツイらしい。
・その点、西尾城主(藩主)は多くて6万石だったから維持に苦労したと思われる
など。
あと、もし西尾城天守が現存していたのなら、その規模は全国で6番目の大きさだったそうな。
気になるランキングは次の通り。
★1位 姫路城
★2位 松江城
★3位 松本城
★4位 犬山城
★5位 伊予松山城
★6位 西尾城
なのだとか。
だから現在、西尾城天守を再建しようという動きがあるのですケド、再建されると全国でも6番目に大きい天守になるという事ですね。
あくまで天守の大きさですが、これはスゴイです。
そして個人的に気になったのが、三浦氏いわく、天守の石落としは石を落とす施設ではなく、鉄砲を放つためのものだそうな。
え? (・_・;)
たぶんあなたも知っている、天守に設けられた石落とし。
天守を攻撃しようとしている敵に対して、上から石を落とすための穴ですが、三浦氏によると、これは石を落とす穴ではなく、鉄砲を放つ穴だそうです。
正しい名称は、袋狭間(ふくろざま)、足駄狭間(あしだざま)というもの。
ではなぜこれが石落としという名前になったのかというと、江戸時代に実戦経験がない軍学者が、石落としは石を落とすものだといういうことで認識したらしい。
確かにこの説は一理あるんですよ。
その理由は、私は愛知県古銃研究会で古式火縄銃演武を研究・再現していますが、その中に狭間撃ちという撃ち方が存在するのです。
鉄砲狭間から火縄銃を放つ砲術で、火縄銃は下に向けて放つことが可能なのです。
まあ、角度によるのですけどね。
でも多くの城は、石落としを石を落とす施設と解説していますが、それがウソになるという事でもあるので、これは正直、新しい発見でもありました。
そして今回、一番強調されたのは西尾城天守が、かなり独創的な作りだったという事。
天守の作りを解説すると、専門過ぎて難しい話になるので割愛しますが、全国的にも類を見ない、かなり個性的な天守だった様です。
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早く再建されると良いですね。
ということで、かなり学ぶ事が多かった今回の講演会でしたが、学んだ事を今後、自分のアウトプットい繋げていきたいと思います。
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