【大阪城レポ 5/6】
歴史好きの人が大阪城に行く時に忘れないでチェックしたいポイントがあります。
それは、城外の史跡。
大阪城周辺は、戦国関連の史跡が多く、これらの史跡をセットにすることで、旅行の満足度も上がります。
あと私が個人的にオススメしたいのは、
史跡巡りはキホン歩く事。
『は?ひでさん、そんなのダルいっすよ!』
と、思う方がいるかもしれませんが、なぜ歩く必要があるのか?
これには理由があるのです。
ということで、大阪城周辺にたくさんある史跡の中でも、特に印象的なものをピックアップしてみました。
まずは越中井(えっちゅう い)。
細川忠興の屋敷跡です。
忠興が越中守(えっちゅうのかみ)という官位だったので、この名前が付きました。
ここは忠興の屋敷の台所だったらしく、そこにあった井戸が、この越中井。
だからナニ?
と思う人もいると思いますが、単なる屋敷跡ではありません。
忠興の妻・細川ガラシャがこの周辺で自害したという史跡です。
忠興の妻・ガラシャは明智光秀の娘で、関ヶ原合戦の直前に屋敷で自害(殺されたとも)したといわれています。
その現場がこの周辺とのこと。
この越中井は、台所跡なので、台所でガラシャは亡くなっていませんが、この近くということです。
周辺は住宅地となっており、ガラシャが亡くなった具体的な場所はわかりませんが、この周辺ですね。
続いて大阪冬の陣で真田信繁(幸村)が真田丸を築いたといわれる場所。
それが現在の三光神社周辺です。
現地には幸村の銅像と、大阪城に繋がっている(といわれている)抜け穴があります。
実は、この三光神社の背後に空堀町という場所があって、現在でも谷状にくぼんでいます。
一説には、大阪城の外堀跡で、真田丸の背後の堀跡といわれている場所です。
あと、三光神社に行ったら、後ろにある心眼寺もセットで行きましょう。
これは心眼寺の北側、つまり大阪城側。
この反対側が南側で、幕府軍が攻めてきた側なんですが、真田丸があった場所は、南側から見ると高台になっている事がわかります。
つまり幕府軍は低いところから、高い位置にある真田丸を攻めている。
これは非常に重要なポイントで、合戦では低い場所が不利で、高い場所が有利です。
よく分かるのが山城や関ヶ原古戦場ですね。
関ヶ原古戦場の石田三成の陣跡である笹尾山は、東軍の陣跡から行くと上り坂になっています。
つまり、東軍は重い甲冑を着て坂を登って攻める。
三成軍は坂を下りながら攻める。
どっちが楽なのか、言うまでもありません。
真田丸も幕府軍は、低いところから高い場所にある真田丸を攻めているというカタチになります。
現在では真田丸周辺も開発が進み、戦国時代に比べて地形は多少変わっていると思いますが、もし現在の地形が大筋、戦国時代のものと同じなら、そういった見方もできますね。
そして真田幸村最後の地である安居天満宮。
大阪冬の陣の時、家康本陣に突撃した幸村は、あと一歩のところで家康を討ち取るところまでいきましたが、幕府軍に押し戻されて、この安居神社で最後を迎えました。
境内には幸村の銅像が建立されています。
精根尽き果てた様な状態の幸村。
やることはやった!みたいな表情です。
幸村は安居天満宮の松の木のふもとで最後を迎えたといいます。
その松が、このさなだ松。
戦国時代のものではなく、数代、植え替えられた松らしいのですが、幸村最後の地がココです。
ということで、大阪城外の3つの史跡をレポしてみましたが、これらの史跡は歩いて行けます。
また歩く事によって、高低差や距離感なども把握できるんです。
この高低差や距離感というのは、私は史跡巡りで非常に重要なポイントだと思っています。
例えば、私がよくやる史跡散策会で、桶狭間合戦ゆかりの史跡を歩くというものがあります。
歴史に詳しい人は分かると思いますが、信長が桶狭間に向かった時に立ち寄った、丹下砦、善照寺砦、中島砦は歩いて散策します。
そうすることによって、砦の地形や高低差、桶狭間古戦場への距離感などが掴めるからです。
関ヶ原もそうですね。
西軍の陣跡など、歩く事によって、三成の鶴翼の陣の範囲も把握できますから。
あと歩く事によって運動もできますし、お腹も空くので、史跡巡り後の居酒屋、食事も美味しく頂けます。
ということで、これらの3つの史跡も大阪城とセットで訪れる事をオススメします。
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