【桶狭間古戦場レポ 13/16】
桶狭間古戦場公園(緑区)の南に今川方の武将の陣跡といわれるものが残っています。
それが瀬名伊予守氏俊陣跡です。
瀬名さんは古くから今川氏に仕えた武将で、主君である今川氏親(義元の父)の娘を娶っています。
なので義元からすれば、義理の兄弟にあたる重要人物なんですね。
しかし瀬名氏について詳細は分かっておらず、
●徳川家康の正室・築山殿は、瀬名氏の分流の関口氏の姫。
●瀬名氏自体は、武田家の駿河侵攻のときに寝返っている
●氏俊の子孫が、後に徳川家の旗本になった。
これくらいですかね。
ちなみに桶狭間合戦の時は、今川軍の先鋒隊として、義元が桶狭間に到着する前からおり、義元の陣を築いたり、近くの神社に戦勝祈願したりしています。
しかし肝心の永禄三年五月十九日、つまり義元が討たれた日には、大高城に向かっていたという記録もあり、義元本陣を護る事ができなかった様です。
今では道端に石碑と看板が建つのみで、ついうっかり見落としてしまいそうな史跡ですが、ココもチェックしましょう。
※ 続きを読む ⇒ 今川軍が作戦会議を開いた場所といわれる桶狭間の戦評の松
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