あの戦国の現場へ行こう!


鳴海城宿場まつり会場の近くは、桶狭間合戦ゆかりの城砦が点在しています。



今回、待機時間を使って、鳴海宿場まつりのPRと史跡巡りを兼ねて鳴海城跡に行ってきました。



鳴海城とは、一説によると応永年間(1394)安原備中守宗範が築き、戦国時代には山口左馬助教継という豪傑が城主でした。



別名・【根古屋城】



さて、この山口さんは、織田信秀に仕えていましたが、信秀没後、家督を継いだ信長に見切りを付け、今川方となります。



この時、山口さんは織田方の城であった沓掛城(豊明市)、大高城(緑区)を今川方への手土産として味方したので、これにより今川勢は尾張への入口を確保できました。



これにより信長は山口さんと戦いますが、結局、力攻めで鳴海城を落とす事はできず、いくつもの砦を気づいて、大高城と共に兵糧攻めにします。



また山口さんは信長の計略により駿府に呼び出され、今川義元から切腹させられ、鳴海城には岡部元信が入城します。



義元討ち死に後、一説によると岡部さんも城を枕に討ち死にとばかりに篭っていましたが、義元の首を信長から受け取り、駿府へと引き上げました。



これらの話から、当時、尾張国内の城として堅固な城だった事がわかりますね。






あの戦国の現場へ行こう!

↑ 鳴海城跡の現状は、公園、道路、神社、民家。



開発が進んで遺構らしきものはほとんど残っていませんが、要害を想わせる高低差は今でも見どころ十分。



また至るところに鳴海城跡の石碑が建っていますのでわかりやすいです。






あの戦国の現場へ行こう!

↑ まずは公園内を散策。



この鳴海城跡公園は、かつての鳴海城の本丸にあたる部分。



二ノ丸に続く東側を除き、三方が崖でした。



その地形、高低差は今でも残っています。







あの戦国の現場へ行こう!

↑ 南側を望むハマン殿。



南側はかつて入江が迫ってきていました。



現在では住宅地となっており、想像もつきませんが、城主もこうやって遠望していたのでしょうね。






あの戦国の現場へ行こう!

↑ ところで鳴海城跡公園には富士山があります。



なぜココに富士山があるのか?



不明ですが、ココにも登ってみます。







あの戦国の現場へ行こう!

あの戦国の現場へ行こう!


↑ また道路をまたいだ東側にある天神社もかつての鳴海城内。



曲輪があったみたいで、一説には二ノ丸とのこと。



ココにも石碑が建っています。







あの戦国の現場へ行こう!


↑ そして見逃してはならないのが、鳴海城跡に北にある東福院。



ここの山門は、かつての鳴海城の廃材を使って作られたもの。



400年以上も前のことなので、所々修復していますが、上の段の横に通る柱が一番古そうです。



たぶんこれがその木材ではないでしょうか?






あの戦国の現場へ行こう!


今回はあまり時間がありませんでしたが、甲冑にて鳴海城跡を巡る事ができてよかったです。



また本来の目的である鳴海宿場まつりのPRもできました。



やはり甲冑にての史跡巡りは、想い入れも違いますよね。



皆様、おつかれさまでした!



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