渡辺崋山の墓所があるのが、城宝寺です。
三河田原駅から徒歩3分という立地のよいお寺。
田原城と共にチェックしましょう。
さて、この城宝寺は、もともと大きな古墳だったのです。
古墳の上にお寺を建立したのですね。
↑ これがその古墳。
六世紀半ば頃の古墳だそうです。
しかし歴史はディープ。
弘法大師・空海が37歳の時、江ノ島から西国に向かう途中、この岩屋に立ち寄り、
護摩の修行をおこなったとか。
それが城宝寺の創建のキッカケになったみたいです。
また戦国時代の永禄七年(1564)、徳川家康がこの洞窟に隠れ難を逃れたとか。
永禄七年…
どんな出来事かわかりませんが、ともかく、それくらい昔から有名な古墳なんですね。
↑ さて、肝心な崋山の墓所です。
全く迷わずにココにくるシステムが整っているのがさすが!ともいうべきでしょうか。
渡辺崋山は、天保十二年(1841)に蟄居先の田原・池ノ原で自害しましたが、幕府批判の罪に
問われていましたので、墓が建てられたのは明治になってからのことです。
ちなみに田原では、『崋山』と呼び捨てにすると怒られます。
『先生』を付けないとダメです。
なので、墓所を訪れる時でも、
× 『崋山の墓ってドコよ?』
○ 『渡辺先生の墓所はどちらですか?』
この違いを覚えておきましょう。
ちなみに長篠(新城市)でも、馬場美濃守信房を呼び捨てにして、怒られたという人がいました。
歴史と地域ってコワイですね (;^_^A
あと、城宝寺の前は、寺下通りというちょっとした有名な通りです。
江戸時代には寺が密集していた様です。
城は有事の際には砦となりました。
なので、城下の弱い部分を補うために、城を建てたりもしていたのでしょう。
今でもその名残を見ることができますね。
田原城とセットで訪れる事ができますので、城宝寺も要チェックです!
※ 続きを読む → 霊巖寺の首なし地蔵 ( ̄□ ̄;)!!