【愛知の戦国銅像・石像をゆく12】
私は基本、キライな戦国武将はいません。
なら、好きな武将を挙げるとすると2人います。
ひとりは、鳥居強右衛門。
長篠・設楽原合戦で活躍した人ですね。
彼は身分は百姓だったかもしれませんが、私の中では武士です。
そしてもうひとりが、この丹羽氏重(にわうじしげ)です。
丹羽と聞くと、
『丹羽長秀(五郎左)と関係がある人?』
と思ってしまいますが、全く別の丹羽さんです。(´・ω・`)
どういう活躍をした武将なのかというと…
小牧・長久手合戦時、秀吉と家康は楽田と小牧山で対峙しました。
こう着状態の中、秀吉方の武将・池田恒興らは岡崎を急襲しようとします。
この時の編成は、
第1隊 池田恒興(先鋒)
第2隊 森長可 (鬼武蔵、蘭丸の兄)
第3隊 堀秀政 (名人久太郎)
第4隊 三好秀次 (後の関白・豊臣秀次)(大将)
その数約1万7千(諸説あり)。
これだけの軍勢で、岡崎城を目指したのです。
その時、家康方の岩崎城を300人で守っていた丹羽氏重。
あまりにも兵力に差がありすぎましたが、むざむざ通すワケには行かないと敵方・池田恒興隊に攻撃を仕掛けます。
これに池田恒興も応戦。 (゙ `-´)/
結果、丹羽氏重をはじめ城兵は全て討ち死に。
岩崎城も落城。
でも、結構疲れた池田隊でした。 (´・ω・`)
そこで休息を取っていたら…
なんと家康が小牧山から追いつき、最後尾にいた三好秀次らに襲い掛かります。
これにより、池田恒興らは不意を突かれますが、なんとか体勢を建て直し長久手で対峙します。
これが長久手合戦ですね。
現在の愛知県長久手町(愛・地球博の会場があったとこ)で激戦が繰り広げられました。
しかし秀吉方は家康軍に撃破されてしまいます。
結果、池田恒興と森長可は、この戦で討ち死にしてしまい、秀吉方の岡崎急襲作戦は失敗してしまいます。
負けると分かっているのに、どうしても引くことができなかった丹羽氏重。
不器用といえばそれまでかも知れませんが、なんとなく分かる気がします。
ちなみに享年17歳。
病をおしての出陣でした。
そんな彼の銅像が岩崎城内の資料館にあります。
ハヤリのゲームとかには、まず出てこない郷土史レベルの戦国武将。
しかしその生き様は、現在でも語り継がれています。
※ 続いての愛知の銅像石像はこの人だ → 田中吉政
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