【近江路・歴女ブロガー旅紀行 その36】
前回の記事で長浜城の移築搦手門の事を書きました。
そして今回はなんと、
長浜城大手門
です。
移築先は大通寺。
現在は大通寺台所門という名前です。
これも長浜城から徒歩20分くらいのとこにあります。
さて、もともとこの大通寺は、長浜城の一廓にありました。
金具の裏に天正十六年(1588)の銘があることから、山内一豊時代のものといわれています。
慶長十一年(1606)にこの地に移されました。
↑ 長浜城の城門だけあって、スゴイ重厚な作りです。
大正二年(1913)に解体修理が行なわれ、多少構造が変わりましたが、それでも門柱や
金具は当時のものだとか。
400年以上経っても形を成しているので、作りも頑丈という事ですね。
市指定文化財。
↑ そして大通寺にはまだまだ見どころがあります。
この山門もそのひとつ。
戦国とは関係ない文化五年(1808)に作られた山門ですが、こちらも重厚。
完成までなんと33年かかったとか。
山門の事はよくわかりませんが、山門ひとつとっても江戸時代の大通寺の様子を垣間見る事が
できそうですね。
↑ 江戸時代なので、現在の様に機械があったワケじゃないので職人の手彫りに
よるもの。
これも市指定文化財。
この大通寺はもともと天正年間に、織田信長に対抗していた石山本願寺の支援のため、
協議を行なう寄り合い道場を開いたのが始まりだとか。
なので戦国時代とも深い関わりをもった寺院なんですね。
↑ そして本堂は、もともと伏見城の建物で、徳川家康が本願寺教如に贈り、大通に移築されたもの。
これは国指定文化財。
↑ 境内は広いうえに、たくさんの古そうな建物があります。
現役で使っているみたいですが、歴史を感じるものばかりですね。
↑ そしてコチラは重要文化財である大通寺広間附玄関 だいつうじひろまつきげんかん)。
広間は江戸時代初期の建物といわれ、玄関は宝暦十年(1760)のもの。
この玄関は大通寺住職・横超院の内室であった彦根藩主・井伊直惟の息女・数姫によって
建てられた事が、棟札によって分かっています。
こんな感じで文化財だらけの大通寺。
長浜城門を追いかけてきたらスゴイお寺を発見しました。
もっと探ればいろいろありそうですよね。
ココも長浜徒歩散策の範囲内ですよ。 (=⌒▽⌒=)
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