あの戦国の現場へ行こう!-出会いの像


【岡崎城レポ その9】





岡崎城の西を流れる矢作川(やはぎがわ)



岡崎城の西側を守る天然の堀でもあり、また上流にある、かつての加茂郡(現・豊田市周辺)からの水運の道でもありました。



その川岸に一対の像がありました。



現在では国道1号線の改修工事で撤去されていますが、この像はいったい…



じつはこの像、



豊臣秀吉と蜂須賀小六なんです! 





∑ヾ( ̄0 ̄;ノ



なんでこんな所に??



いきさつは次ぎの通り。




幼い頃に父をなくした日吉(秀吉の幼名)は故郷の尾張を出て、各地を放浪します。



そしてこの矢作橋の上で野宿していた秀吉を、通りすがりの蜂須賀小六が気付かずに蹴飛ばしてしまいます。



これに怒った日吉は小六の槍を掴み抗議!



子供なのにたいしたヤツだと、日吉の胆力に感心し、仲間になったとの事です。






しか~し!! 



このオハナシは後世の創作話。



なぜなら、当時の矢作川には【橋】が架かっていませんでした。 ∑( ̄□ ̄;)



矢作橋が最初に架かったのは、慶長六年(1601)。



このブログを読んでいる方なら分かると思いますが、この年って…



そう。関ヶ原合戦の翌年なんですね。 ( ̄Д ̄;;



つまり矢作川に最初に橋が架けられたのは、関ヶ原合戦の後。



なので秀吉自体、橋が架かったときにはもう亡くなっているんです。



この話が出てくるのは、江戸時代中期に記された【絵本太閤記】が最初。



ということは、【絵本太閤記】の著者・竹内確斎の創作という事になりますよね。



そのへんの事が詳しく記されています ↓




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しかしこの石像、まったく無意味かといえばそうでもない。


この出会いの像は史実ではなく、【絵本太閤記の名場面の1シーンを再現している石像】というふうに捉えてみればウソではないですよね? 



(;^_^A



早く国道1号線の改修工事が終えて、再び設置される日が待ち望まれます。




※続きを読む → カクキュー八丁味噌