岡崎城の西を流れる矢作川(やはぎがわ)
岡崎城の西側を守る天然の堀でもあり、また上流にある、かつての加茂郡(現・豊田市周辺)からの水運の道でもありました。
その川岸に一対の像がありました。
現在では国道1号線の改修工事で撤去されていますが、この像はいったい…
じつはこの像、
豊臣秀吉と蜂須賀小六なんです!
∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
なんでこんな所に??
いきさつは次ぎの通り。
幼い頃に父をなくした日吉(秀吉の幼名)は故郷の尾張を出て、各地を放浪します。
そしてこの矢作橋の上で野宿していた秀吉を、通りすがりの蜂須賀小六が気付かずに蹴飛ばしてしまいます。
これに怒った日吉は小六の槍を掴み抗議!
子供なのにたいしたヤツだと、日吉の胆力に感心し、仲間になったとの事です。
しか~し!!
このオハナシは後世の創作話。
なぜなら、当時の矢作川には【橋】が架かっていませんでした。 ∑( ̄□ ̄;)
矢作橋が最初に架かったのは、慶長六年(1601)。
このブログを読んでいる方なら分かると思いますが、この年って…
そう。関ヶ原合戦の翌年なんですね。 ( ̄Д ̄;;
つまり矢作川に最初に橋が架けられたのは、関ヶ原合戦の後。
なので秀吉自体、橋が架かったときにはもう亡くなっているんです。
この話が出てくるのは、江戸時代中期に記された【絵本太閤記】が最初。
ということは、【絵本太閤記】の著者・竹内確斎の創作という事になりますよね。
そのへんの事が詳しく記されています ↓
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しかしこの石像、まったく無意味かといえばそうでもない。
この出会いの像は史実ではなく、【絵本太閤記の名場面の1シーンを再現している石像】というふうに捉えてみればウソではないですよね?
(;^_^A
早く国道1号線の改修工事が終えて、再び設置される日が待ち望まれます。
※続きを読む → カクキュー八丁味噌