永禄三年(1560)五月十七日。
池鯉鮒で一泊した義元公は、次なる拠点・【沓掛城】(くつかけじょう)を目指します。
この沓掛城は、故・山口さんが大高城とともに、今川方に手土産として寝返らせたお城。
という事で義元公、すでに尾張領内に入っています。
そんな沓掛城ですが、現在は城祉公園として整備されています。
トイレ・駐車場も完備で、春になるとサクラもキレイな沓掛城址。
堀・土塁・曲輪の遺構も残っており、壊しすぎず、作りすぎずの整備がウレシイですよね。 (‐^▽^‐)
↑ これは堀と本曲輪(本丸)の写真。
堀の規模もこの時代のものにしては大きく、見応えがあります。
↑ 現地看板にて。
現在の縄張はこんな感じですが、当時はもっと大きな規模だったとの説も。
やはり義元公が大軍引き連れて陣を張るくらいのお城ですから、大きいものだったのでしょう。
↑ 堀の向こうは、諏訪曲輪(すわくるわ)。
橋は現在のものですが、当時はどのような連絡路になっていたのでしょうか?
そして諏訪曲輪を違う角度から見てみると、曲輪自体が高くなっている事に気が付きます。
本丸からだと分かり辛いですが、この行程さもチェックしてみましょう。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
沓掛城に入城した義元公は、先鋒隊の大高城の救援報告を待ちます。
これより先は慎重にいかねば…
と、その前に、このブログ読んでいる方に、地元だけに伝わるちょっぴりネタを、ご提供致します。
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