実家に行ってきました。 |  なんとかなるさ

 なんとかなるさ

川の流れのように


昨年末から
生きること、死ぬこと、
親と子、神様とこの世、


生きたいと思う人(父)と、
生きることにそんなに執着を持てない人(あの世とこの世の境が曖昧な私)、


様々な角度から見ていました。



数年前から闘病中の父。
どこかでキャッチしている
もう長くはないのだろうという予感が
強く感じるようになり、
心の準備をする時期に入ったよ、
という感覚に心がついていかなくて、


再発し食欲が落ち、
急激に衰えてきている父に
励ますのも違うし、
慰めるのも違うし、


ただ話をうんうんって頷いて聞いて
行った際は一緒にいるわずかな時間を
愛おしく過ごしていました。




普通より感受性が過敏な私は
この世は生きづらいものでした。
いつも泣いている子供でした。


この世の秩序みたいなものに
疑問を持たず勝ち進んで来た母には
私は怠け者に見え やらないやれない
私を理解することは出来なかったようで


親との確執が出来、
大人になって
傷は深く修復不可能なほどになりました。


それでも私が絶縁を叩きつけても
父は孫の誕生日にかこつけて
きてくれていて、
私が心理セラピーで
回復しつつある様子に合わせ、
母も共に連れてきて
………
そして今があります。


本当に本当に父には
感謝しかありません。






昨年末のある朝、
夢を見て
その夢からの気付きに大号泣しました。


その夢はよちよち歩きの私の目線で
若かりし父を見ている夢でした。
家の前が空き地で
小花が綺麗で
花を摘むこと、
花の名前を教えてくれ、
父が私が生まれてきたことを
嬉しそうに見てくれている。

そんな夢で
夢の中の私は
そんなお父さんが大好きでした。


それ以上でも
それ以下でもなく
ただ

大好き!

その気持ちがすべてでした。


夢を見て
その気持ちに戻れて号泣していると、
「おかえり」
って、違う次元からの私の声がしました。


私の誕生を喜んでくれた人がいて、
そこがスタートだとすると、
人生って家族って
この世に生まれてくることって、
色々な感情を味わって
最後に行きつきたいところは
大好きな人に大好きとありがとうって
言ってあの世に帰る(送る)
それがゴール
なのかなって思いました。


だから人生の途中すれ違うと
あんなにも苦しむのかも
しれません。




耳の遠くなった父。
心はぴんしゃんしているけれど、
体がもうお役目を果たしたかのように
衰退していっている。


また来るね、
と言うと嬉しそうに
「おう」と応える父。






一人になると最近いつも泣いてしまう。
後悔の涙ではない。


私は寂しいのかな、
悲しいのかな、
心の奥へ辿っていくと
この涙が行き着くのは
いつも“ありがとう”という気持ち。


私のお父さんが父で良かったという感謝と
もらいきれないほどの愛情に
埋もれてしまう。



実家からの帰りみち、
地球からの素敵なプレゼントを
もらいました。



私も父を愛しく見つめ返そう。
母や兄にも。
そして私の子共達も。

きっと出会えたことが奇跡で
愛しいと思い思われる気持ちに
満たされたいと思っている。
私の旦那さんは子供達にとって
大好きな人なんだ、ということも
心に留めておかなくてはね。


生まれてきた人生、
心の土地を
ふかふかに耕していこう。
そう思いました。