不登校児の親として 疎外される場所には行かない |  なんとかなるさ

 なんとかなるさ

川の流れのように

こんにちは。
子間宮みかです🎵



とは真逆のような内容を書きたいと
思います。




心のことで色々な相談する場所が
あると思います。

それこそ
不登校は問題行動ではない、と
多様性を認めようという場所もあれば、


他にも親自身のトラウマがあり
子供が不登校になることで
親のトラウマに気づかせようとしている、
という考えのところもあります。

↑これは人によっては当てはまり、
浄化に至れば天からの恩恵と
受け取れる。


でも違う人もいる。



それと場の持つ雰囲気。
たぶん不登校に対しての思いに
マイナスな印象を持つことが
あたりまえという雰囲気があるところ
だったのだと思う。
(そこは不登校専門の相談する場所ではなかった)


以前、何年か前のことだけれど、
大勢の人がいる場所で
子供の不登校のことを相談して
いる人がいた。


でも不登校を困ったことで
学校に行くようになったら解決と
見ているその場所では、
皆の目線が冷ややかだった。


相談にこたえる人(ファシリテーター)
のせいではないかもしれない。
でも相談して心を明るくしたいと
思ってきたのに、
まともに世間の風当たりを
心を扱う場所で感じ、
辱しめを受けるようなこれは
なんなのか?


私の目がそこにいる人の心を
ジーっと観察していた。



斎藤一人さんが
「学歴のない人をバカにする人が
いるけれど、
そのバカにすることが魂が未熟だと
気付いていないんだよ」


みたいなことを言っていたのだけれど、
不登校もそうだと思う。
不登校を選ぶことだって
半端な気持ちじゃないはずだ。
そのバカにする人たちが大事にしている
世間体を蹴ってまで
大事にしたい何かがあって
それを守っているんだと思う。


その重みや痛みを
軽視するような人の心は
ただ世間体というレッテルに
寄りかかって安堵している
だけなのではないか?


もし心の痛みを思いやることが出来、
人生の中で学歴や学校に行かない
ことに重きを置かない人だったら
そういう選択をした人生の
学びがあるんだね、
と尊重するのではないか?


軽視する人々が寄せ集まることを
世間と読むかもしれない。
その中で、
私は傷つきなからも
世間体を蹴ってまで何かを守りたかった
その心の声を聞きたいと思う。


私の知っている
不登校を選んだ子の心の目は
とても澄んでいた。



その何かを大事にしている
その子の佇まいは
私にとってとても心地よかった。






今日もお読み頂きありがとうございます*花*







皆さんに喜び幸せが
たくさん愛とともに降り注ぎますようにキラキラ








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